- 目次
- 1. はじめに
- 2. 現地観光のテーマを決める
- 3. テーマを決める
- 4. 羽田空港〜ベネツィア
- 5. ベネツィア観光
- 6. ローマへ
- 7. 改めてヴァチカン市国へ
- 8. 在イタリア日本国大使館へ
- 9. 最終日
- 10. フィレンツェ
- 11. 五百人広間と「アンギアーリの戦い」
- 12. サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
- 13. 最後の波乱
- 14. 帰国後
はじめに
この記事は、新婚旅行でイタリアに行った記録の後編です。主な構成は以下のとおりです。
旅行記を書く上でやっておいたほうがよかったと後悔したことは、
Googleマップのタイムラインを有効にしておくことだった。
電池を多少食うので、モバイルバッテリーがかさむかもしれないが、GPS機能の付いていないOLYMPUS E-M5 mark2で撮影した写真では、あとでどこで撮ったものかさっぱりわからなくなったからだ。
イタリアで訪れたのは大部分ほとんど教会だったため、同じような構造と石像に囲まれた写真に、
その時その時の感情は蘇るが、どこの教会だったのかわけわからない。
幸い、今のグーグルフォトにはAIが「このシャッシンはここでトッタンだろ」とむりくり目星をつけてくれるので、非常に助かっている。
これから旅行に出かける人はぜひタイムライン機能をオンにしておくことをおすすめする。
Googleマップの設定
現地観光のテーマを決める
一言にイタリアと言っても、北から南まで1000km近くあり、地形的には日本に近い。つまり、北海道と沖縄レベルでの気候の違いや文化の違いが存在することになる。(知らんけど)
たった1週間でそれを網羅することは不可能で、限られたロケーションの中で何を観たいか、感じたいのか明確にしなければ、やりたいことが多すぎてグダグダになる可能性が高い。
テーマを決める
イタリアといえば、ローマやフィレンツェなど、歴史的な建造物が魅力的だけれど、今回は、建築物とその周辺にまつわる絵画を追いかけたいと思う。
その昔、レンブラントやドラクロワの画法に影響を与えたとされる、カラヴァッジォは、明暗を巧みに操る天才である。
本名、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオと言うが、あのミケランジェロではない。
彼はミラノで生まれ、ローマやナポリを転々とし、数々の名画を生み出した。
そんな波乱万丈のカラヴァッジォの名画を、訪ねてみたいと思う。
カラヴァッジョの肖像画
また、トムハンクス主演のラングドン教授シリーズの「ダヴィンチコード」、「天使と悪魔」、「インフェルノ」が好きなため、聖地巡りも兼ねたプランを考えたい。
ラングドンシリーズにはイタリアが舞台の場所が多い
難しく考えてもあれなので、とりあえず目の前で行きたくなった場所を訪れることも必要かなと。
羽田空港〜ベネツィア
羽田空港
挙式を終えたまますぐに家に帰り、羽田空港へ。これが超きつかった。
ただでさえ、挙式準備の寝不足に、1日挙式を終えてぐったりしているところに、海外渡航ときたらそれはもう、死ぬかと思った。
ただ、時間を無駄にしないという点では、真夜中の出発は良いかもしれないです。
羽田空港のトイレは、中の利用状況が外から分かるように、電光掲示板だった。
空港のトイレは電光掲示付きだった
一旦日本を離れたら、ラーメンやそばには1週間ありつけないので、ここで一杯食べていく。
ドバイでトランジションがあり、東京→ドバイは11時間程度。ここで、寝ておきたかったが、エコノミー狭すぎて寝つくことはできなかった。
しかも、僕のお嫁さんとは隣同士の席ではなかった・・・。せっかくのハネムーンなのに!
Emiratesは評判が良いと聞いていたので、限定的な被害かもしれないけど、ちょっと残念。
ドバイ空港
つかの間のドバイ空港では、AEDという謎の通貨に悩まされ、迷った挙句、ATMから引き出すことにした。が!
操作方法がよくわからず、というか、クレジットカードがなぜか対応しておらず、エラーに。
そのエラー後の画面表示がクソ喧嘩売ってた(画面に「Back To School」とかだしやがる)ので、写真撮るためにもう一回チャレンジした。
ドバイ空港のATM
ハラタツ
ドバイ空港はとにかく、広かった。
トランジションに迷うようなことはなかったが、遅延が頻繁にあるような状況で目的の便が表示されるべき電光掲示板が故障中であったり、いろいろと不安要素はあった。
ドバイ空港から眺めた外の様子
機内の様子
日本→ドバイと比べて、FAのレベルがはるかに違っていて、驚いた。飯は、味のないオムレツと味のない魚のどちらかで、まずかった。
FA
幸い、後半の飛行機は空いていて、二人で隣だったので、横になることができた。
真ん中の4人席で一人で横たわっている人もいて、こういう場合には中の席もなかなか良さげ。
ホテルAbbazi
ベネツィア空港に到着し、そのまま高速バス的なものに乗った。チケットを買ったはいいが、乗り場がわからずそこらにいた運転手らしき人に話しかけると、タバコをくわえたまま無言でカバンをバスの中に入れろと合図し、ジェントルに案内してくれた。
本当に運転手だった。
無事、ベネチアに到着。
ホテルは3つ星のAbbazia。ランク的にはしょぼいけど、駅から超近でスケジュール管理的に安心できる立地を優先した。
フロントに行くと「Chiao!Mr.Hitoribucho!」と陽気に迎えてくれるカウンターのおじさん。到着を待ちわびてました的な感じで、こちらも嬉しくなる。
特にパスポート等の確認もせず、部屋の鍵を渡される。Mr.Hitoribuchoじゃなかったら、どうしてたんだというくらい、セキュリティー的にアレな感じは、なんとも言えずイタリアらしい。
ベネツィア観光
渡航の疲れもあったので、初日はの夕方からは、限界まで行けるところまで散歩した。
ベネツィアは狭いようで広い。
感覚的には京都市ほどの広さなので自転車があればよかったが、条例で定められているようにここでは車輪のついた乗り物は一切禁止である。もちろん、ターミナル駅周辺には高速バスが入れる場所があるが、そこまで。
実際、ベネツィアは小さな島がたくさん繋がっている構造で、橋が多い。そのため、車輪での移動はとても面倒。
橋が多い
移動はみんな船を使う。
それこそ、タクシーから救急車、宅急便や建設用の重機に至るまであらゆる運搬手段が船で行われている。
水路にはさまざまな船が行き交う。
ヴェネチアの暮らし
①洗濯物について市内はとても狭い。
ヨーロッパといえば、フランスのように広大な土地に農場が広がっている場所がおおいイメージだが、ここはイタリアの中でも特別な場所である。
道路は狭く、家同士もくっついている。一軒家もまずない。
当然、洗濯物を干すスペースがない。
洗濯物は、建物の間に張り巡らされたケーブル伝いに干していく。
もちろん、通行人や観光客に丸見えの状態である。
ベランダでタバコを吸う婆さん
②移動について
また、現地の人の移動ももちろん船だ。
みんな、自前の船をもっていて、玄関は直接海につながっている。
(もちろん、通りに面した玄関がある)
地元の人の自家用車ならぬ自家用船
玄関は海に面している
③ペット事情について
ヴェネツィアだけかもしれないが、すべての人がペットの犬にリードをつけずに散歩をしていた。
狭い街で逃げる恐れがないのかもしれないが、自由に好きなところへ歩かせるスタイルは、少しだけ羨ましかった。
朝一番の散歩で元気に飛び出すレトリーバー
④トイレについて
ヨーロッパで日常的に見られるのが、ビデ。
ビデとは日本にいたらあのウォシュレット機能のトイレについているあれをイメージするが、実際には異なる。
ビデとは、男女ともに下半身を洗うための洗面台のようなものだ。
ビデ
”ビデ(仏: bidet)とは、足を含めた下半身や、モップなどを洗浄するための器具である。 南欧、特にイタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、マルタ、クロアチア、キプロス、アルバニアの一般家庭のバスルームにはシャワー、便器と並んで必ず設置してあり、日常生活において必須の設備といわれている。”
ビデ - Wikipedia
ビデ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
夜になると、狭い路地には明かりがほとんど通ってこない。
そのため、少し怖い。
観光地によくいるバラ売りなんかもいたりする。
そんな中、親子3人で幸せそうに歩いている家族を見つけたので記録。
家族連れ
夜の景色
月と教会
2日目はいよいよ水上タクシー等を駆使した本気モードの観光になる。
サンタ・マリア・デル・ロサーリオ教会
これは、聖(=サンタ)マリア様をまつった教会ということで、なんとか如来寺とかと同じ。デル〜は、どこどこのという意味で、その土地名がつくことがほとんど。
したがって、サンタマリアデルロサーリオ教会は、ロサーリオにあるマリアの教会かと思いきや、ロサーリオは土地名ではなく、マリアを讃える際につかうロザリオという数珠状の祈りの用具のことである。
どの教会にも精巧な像が彫られている
教会の中は静寂そのもの
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂
こちらも長い名前。中は一層静寂としていて、暗かった。
さっきの教会が光で表現されていたとしたら、こちらは煉瓦造りの真っ赤な、聖堂で、中もロウソクの灯りを生かした飾り付けがされていた。
教会の外観
教会の中
ろうそく1個50ユーロセントだったか
こういうのがいちいち凄い
サンマルコ広場
おそらくヴェネツィアでもっとも観光客が集まる場所。サンマルコ広場(別に雨が降りそうだったわけではない)
サン・マルコ大聖堂の一部
ここにはサン・マルコ大聖堂というとても有名な聖堂がある。ラングドン教授シリーズのインフェルノでも登場した。
4頭の馬の像
これはレプリカで、本物は1979年に撤去、修復の後に寺院の中の美術館に展示されている。このブロンズ像こそが権力者によって翻弄された歴史を歩んできた。「4頭の馬」がたどった道は、ローマ→コンスタンチノープル→ヴェネツィア→フランス→ヴェネツィアだった。

@nami_hako
2019-03-14 13:09:31
GLAYイタリアヴェネツィアライブ遠征旅行2026の準備方法
サンマルコ広場までの交通アクセス
公式通貨
時差
トイレ事情
アクアアルタの恐怖
治安面での注意点
費用の見積もり
https://t.co/Z1ZX0NcKuH
https://t.co/3tOHfDjOVE
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@nekt_3jun
2019-03-14 11:36:31
@kirinsan35 かくれんぼww
夜にサンマルコ広場からサンタルチア駅まで歩いて帰ろうとしたんですけど暗いし迷路だし充電切れるしで泣きそうになりました(笑)
スイスいいですね!!
夜にサンマルコ広場からサンタルチア駅まで歩いて帰ろうとしたんですけど暗いし迷路だし充電切れるしで泣きそうになりました(笑)
スイスいいですね!!
当日は、大聖堂の馬の方までは登らなかった(予約していなかったし、時間がなかった)
一応、中には入れたが、そこらへんの教会とはレベルが違った。
とにかく、広い。でかい。
金ピカのビザンティン文化の真骨頂と言うべき天井に張り巡らされた金箔と壁画に圧倒された。
サン・マルコ大聖堂の中
隣の鐘楼を予約して、エレベータで登った。
書き忘れていたが、イタリアの観光(に限らずか?)は、観光施設への入場は事前予約が必須だ。
事前予約せずとも入ることは可能だが、とてつもない長蛇の列に並ぶ羽目になる。
あらかじめインターネットで予約し、バウチャーなるものを印刷した上で、現地の受付に見せる必要がある。
少々面倒だが、これをすることで当日にほとんど並ばずに施設へ入場可能だ。
ひとつミスったのは、出発前に予約せずに、前日などに予約した場合、印刷機がないとこまることだ。
たいていのホテルには、ネットとプリンターがせっとになったコーナーがあるが、小さなホテルではこれがないため、頼む必要がある。
それもが海外旅行の醍醐味であり、コミュニケーションのきっかけになるから、良いけども。
バウチャー票の例(サン・マルコの鐘楼)
鐘楼からの眺め1
鐘楼からの眺め2
サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
サンマルコ広場
時刻を知らせる鐘も銅像が動く
見ての通り、町は建物に敷き詰められ、歩くところなんかないのではと思うほどビッシリ。実際、通りは人が横に並んで3人程度の幅だった。
夜になるとサンマルコ広場や海に佇む他の教会は周りの明かりに照らされて、とても美しく様変わりした。
サンマルコ広場の水上バス停側の大通り
ライトアップされたサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
ライトアップされたサンマルコ広場
さっき通りは暗いと書いたが、どうやら水路が真っ暗なためにそのような印象だったようだ。
観光通路は明るく照らされていた。それでも、すこし怖かったのはイタリアだったから?
水路に灯りはない
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 Dorsoduro, 1, 30123 Venezia VE, イタリア
リアルト橋
ヴェネツィアの運河の1つカナル・グランデに架かる4つの橋の一つ。「白い巨象」とも呼ばれる。最初は木製の跳ね橋で、銀行や商品取引所で賑わっていたため「富の橋」と呼ばれた。しかし、パレードの見物人の重みで崩壊したり、火災に遭ったりしたため、石造りの橋に変えようと提言され、1557年、ヴェネツィア共和国は橋の設計案を一般から募集した。一般公募にはミケランジェロも参加したが、結局、採用されたのはアントニオ・ダ・ポンテの案だった。
(Wikipediaより)
リアルト橋 - Wikipedia
リアルト橋 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
何がすごいかというと、めちゃくちゃ古い橋のくせに、デカくて、橋の上に店が並んでいること。
リアルト橋
サン・ミケーレ島
市街地の北東の離れ島
この島は、いわば亡くなった人たちが住む墓場である。もちろん、観光地ではないが、船のチケットがあれば誰でも行くことができる。
大小様々な墓石(おそらく、金を持っているかどうかで決まる)があり、時代も1000年くらい前のものではないかと思われるものも多くあった。
金持ちの墓はプライベートスペースになっていて、それ自身が小さなキエーザだった。
キエーザとは、イタリア語で教会を意味する。
他にも、規模?によって多少呼び方は変わるが、聖堂のことをドゥオモ、バシリカ、カテドラーレと言う。
船からサンミケーレ島を臨む
中庭の通路にも墓が埋め込まれているため、その上を歩く必要がある。
庶民の墓はまるで小さな団地住宅のよう
すこし金持ちの墓
とても古い墓。十字架が所々倒れている。今にも人魂が出てきそう。
さらに古いと思われる墓は、壁に埋め込まれている
ヴェネチアの猫たち
イタリアにも猫はたくさんいる。はずなのに、なかなか見かけないので、店に入って聞いてみた。
すると、そこにはたまたま日本人が働いている刺繍屋さんだったので、運良く細かい情報を教えてくれた。
聞くところによると、20年ほど前に野良猫の一斉去勢が行われるまではあちこちに猫はいたらしい。
どうやら、いまでも大病院にいるらしい。
大病院?
病院にいるの?
にわかに信じられなかったが、教えてもらった病院へ向かった。
すると、棚ぼただが、道中に1匹の黒猫が座っていた。
黒猫が座っていた
猫に付いていくと、とあるお店の前で立ち止まり、泣き始めた。
どうやら、ここの店にお世話になっているらしい。
ずっと泣き続けるのでしばらく一緒にいたが、ついに店の扉は開かなかった。
店の前で泣き続けるニャン
しばらく先にすすむと、本屋に猫の集会所をみつけた。
ここには、数匹看板猫がいるらしい。
木に登ったり、本の山の上で寝る猫もいた。
木に登ったり
鳩を追いかけたいのに、撫でられる始末
聖ジョバンニ病院
Ospedale Ss Giovanni e Paolo - Psichiatria, 30122 Venezia VE, イタリア
本屋からしばらく歩き、病院に着いた。佇まいから大聖堂のそれと同じなんですが、これはれっきとした病院。
そして、大学?も併設しているよう。
病院の入り口
病院の敷地内に中庭があり、そこにはたしかに猫がいた。
何匹もいた。
皆とても健康的で、気持ちよさそうに歩き回り、寝ていた。
驚いたのは、病院の中から自動ドアを開けて出てくる猫もいたこと。
日本じゃまずありえない光景にただただ感動した。
ボス猫?
スヤスヤ黒猫たち
みんな綺麗な毛色
病院の中から出てきた猫
その他ヴェネツィアの写真
カメラの世紀末モード(自称)で撮ったら天光が
カヤックからのながめ
ピザがうまかった。あたりまだ。ここはイタリア
普通のアパートの柱にも石像が彫ってあり、もはや街全体が美術館
路地
ローマへ
ヴェネツィア→ローマ(Termina駅)
3日目、ヴェネツィアを後にして、ローマへの特急列車に乗った。ここでも、事前の予約票が必要で、印刷が必要だった。
特急列車の予約票
日本にいると気付きにくいが、日本は公共交通機関のシステムがかなり発達しているように思う。ヴェネツィアの駅なんかは改札があってないようなものだったし、駅員がOKといえば入れる。
そんな平和な世界だった。
乗ったのはこれじゃないけど
というわけで、
道中、何もない田舎を特急がひたすら走り続けるだけだった。
本当に、なにもなかった。
たまに羊を連れている家、農家、集落、小さな町はあったが、途中のフィレンツェにつくまでほとんど人影がなかった。
車内でできることといえば、カメラをテーブルに固定して外を撮り続けるとかくらいだった。(それも大した映像にはならなかった)
ローマ駅
ローマ駅についた。と思ったら、間違えていた。
本当は一つ先の駅で降りる必要があった。
東京駅と新東京駅があるようなイメージで、初訪者にはすこしわかりづらかった。
どうやら、Roma Termini駅ではなくRoma Tiburtina駅に降りたようだった。
幸い、隣の駅までは近かったのでタクシーに乗った。
とはいえ、初のローマでドキドキしていたうえに、降りる場所を間違えただけでとても不安を覚えたのは確かだった。
ヴェネツィアは平和だったが、ここローマは首都であり、人の数もレベルが違う。
それだけ犯罪数も多くなるため、事前に旅行ガイドブックなどで情報は入手してこの旅に望んでいた。
とにかく、乗ったタクシーは大丈夫だった。
最初、Termini駅までいくらかかるのか?と聞いたら、「わからない」という。
これは、上野から秋葉原までいくらくらいかと聞かれてわからないと答えるようなものだった。
わからないわけないだろうと、聞いてみると、どうやら距離換算をしていないようだ。
イタリアンタクシーは移動時間で決めてた。
なので、道中どのくらい混んでいるかによって料金が変わるのだという。
結果的に10ユーロ程度で済んだので、正規な料金だったと思う。
また、イタリア人は聞いていた通り、いろいろとラテンでぶっ飛んでいる。
客を乗せて走っているのに、子供から電話がかかってきて「ようー元気か?」みたいな会話が始まったりする。
なにやらその男の子は深刻な口調で相談しているようだった。
電話が切れたら、また次の電話がかかってくる。
・・・そんなに話すことあるのか?
ヴァチカン
とりあえず、ホテルに荷物を置いてから、ヴァチカンに向かった。次の日にちゃんと回る予定だったが、一足先に下見をしておこうと思った。
ローマとヴァチカンの境目にはPOLIZIAと書かれた警察車両が常に待機していて、観光客を見張っている。
とはいえ、柵はあるものの明確な関税やらがそこにおかれているわけではないため、誰もがローマとヴァチカンを行き来することができる。
警察POLIZIA(リアルに銃持ってる)
ここの警備は責任の所在を明確にすることが難しい。
イタリア軍警察、ローマ警察、スイス衛兵が小難しくかかわっているからだ。
そのあたりのめんどくささも、ラングドンシリーズの「天使と悪魔」で描かれている。
広場の大きさは想定したとおり、国としては小さすぎる印象だった。
しかし、サン・ピエトロ大聖堂はでかい。
外から一見してわかるように、これまで見たどの大聖堂よりも、でかかった。これは内覧が楽しみだ。
あのてっぺんまでいけるらしい。
広場の真ん中にあるオベリスクは、昔キリスト教とがエジプトから奪ってきたものである。
バチカン・オベリスク
古代ローマ帝国時代の博物学者プリニウス(Gaio Plinio Secondo)が著した『博物誌』の第36巻、15章 によれば、「いまバチカン競技場にあるオベリスクは、エジプト王 セソストリス1世(Sesoses、センウセレト1世、第12王朝(中王国時代、紀元前20世紀)の王)の息子 ヌンコレウス(Nuncoreus) が、失明した視力が回復した感謝のしるしとして建てたオベリスクで、もう一つのオベリスク(高さ 100キュービット)は今でも残っている。」と書かれています。
広場を囲むように、聖者の石像がずらりと並んでこちらを見下ろしている。
これは、敬虔なカトリックが、けっして孤独ではなく、いつも見守られているのだというメッセージだという。
広場は巨匠ベルニーニが設計したものだ。
140体の聖人像に囲まれている
市街を散歩
ローマ市内を散歩した。とあるアパートの敷地に入ると、そこには日のさす中庭があり、落ち着いた空間が出来上がっていた。
上の方から、犬が叫んでいる。
見上げると、二匹の兄弟がこちらを見下ろしていた。
黒犬二匹に挨拶
サンタンジェロ城
サンタンジェロ城
はやくも、一番行きたかった場所にたどり着いた。サンタンジェロ城は、天使と悪魔の最終決戦の場所といってもいいくらいのハイライトを飾るシーンに使われた場所だ。
城の周りは、五稜郭のように星型の堀で囲まれており、どこからでも敵を迎えうつことができる構造となっている。
実際にみて、ラスボス感溢れる建物だった。
サンタンジェロ城 - Wikipedia
したがって、最初は墓だったのが、軍事利用されたために後から堀が設けられたのだろう。135年、ローマ帝国の皇帝でいわゆる「五賢帝」のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、アントニヌス・ピウス治世の139年に完成した[1]。霊廟はきれいな円形平面をなし、太陽を象徴したハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置された。しばらくすると軍事施設として使用されはじめ、403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられた。
ラスボス感溢れるサンタンジェロ城 ふもとから
城の中へ入り、上を目指してひたすら歩く。中は一つの町かと思うほど複雑な構造をしており、通路が幾重の壁にかこまれていた。
まるで市街地遺跡のよう
頂上からの眺めは圧巻だった。
爽やかな風が吹き、サン・ピエトロ大聖堂が夕日に輝いていた。
ヴェネツィアでは曇りが続いていただけに、このタイミングで美しい夕焼けをみることができたのは、神のおかげか。
夕日に映えるサン・ピエトロ大聖堂
頂上にそびえるブロンズ像は、大天使ミカエルをあらしている。
その意味は不明だが、この城に君臨するラスボスとして動き出してもよいほどの躍動感あふれる像だ。
まるでこちらに剣を振りかざすよう
日が落ちて、あたりが真っ暗になった。
この時のサンタンジェロ城を一番見てみたいと思っていた。
映画でみたように、ライトアップされた城が闇に浮かぶことで禍々しさが増している。
そして、かっこいい。
禍々しいサンタンジェロ城
ホテルに戻った後
ヴェネツィアからひたすら毎日歩き続けていたため、疲れ切っていた。妻がホテルで寝てしまったので、少し夜のローマ市内(とはいえ、ホテルの周辺)を歩いてから寝ようと思い、外に出た。
しばらく歩いていると、一人の男性が声をかけてきた。
「ここにはどうやったらいけるのか?」
地図アプリを見せて、道を聞いてきた。
「I'm not sure because I'm stranger here.」
ここにきたばかりだからわからんと答える。
それでも、彼は迷ったように聞いてきた。
日本人か?
そうだ。
日本のアニメをよく知っている。マジンガーZとか。
それから、しばらく立ち話をした。
彼はバルセロナからきた建築家であること、仕事でここローマにきていること。
そして、一緒に飲める友達を探していたところだと。
お酒は飲めないし、疲れているし、妻もホテルで待っているので、帰る必要があることを伝えても、すぐそこで1杯くらいいいじゃないかと言われ、
ならばコーラ1杯でもよいかと聞くとそれでもいいと言う。
すると、彼はしっている店があるからと案内を始めた。
冷静に考えればここでおかしいことに気づいていなければならなかったが、海外での高揚感と疲労、期待感により、その感覚は失われていた。
あとから思えば、
彼は僕の気を紛らわすため、一生懸命日本のことについて話していた。
漫画やアニメのこと、スカイツリーや東京タワー、道中の周りの建築物、イタリアの映画(ライフイズビューティフルやローマの休日、ニューシネマパラダイスなど)についていろいろと語っていたが、気がつくと、Carrousel Night Clubに着いていた。
マフィアの温床
ここまできてしまったのだから、コーラ1杯飲んで帰ろうと思ったのが間違いだった。
ナイトクラブに来ることが目的ではなかったため、新婚旅行で一人でこんな所にいることに後ろめたい気持ちを感じながら、コーラを頼んだ。
ここですでにやばいなと感じていたため、妻に連絡を取ろうと思ったが、
ここは地下で電波が届いていなかった。
逃げ出したら殺される?
支払いをしていないのに外に出られるか?
そんなことを考えている間に、話しかけられる。
日本語ではないので、そちらに集中力を使う必要があった。
タイミングを見計らって、帰ればいいさ。
結局、2杯飲んだところで流石にヤバイと勘定を頼んだ。
そこには980ユーロと書かれている。
何かの間違いだろうと、
でも980と書かれている。
こんな時、「頭から血の気が引く」というが、
本当に頭からスーっと全てが抜けていく感覚にとらわれ、冷静な判断ができなくなった。
980って一体いくらだ?
100ユーロで1万円+数千円だから・・・
当然、そんな現金を持ち歩いているわけなく、
素直に払えないことを伝えた。
カードも持っていないのかときかれ、
持っていないと答えた。
すると、店員が奥に行き、
しばらくして初老のスーツが出てきた。
まさに、イタリアンマフィアの出で立ちだった。
マフィアを見たことはないが、これはマフィアだとわかった。
彼は、イタリア語で一言こういった。
「金がないのか?」
「そうだ、こんな金額、払えない」
しばらく彼は沈黙し、こういった。
「それは、よろしくないねぇ。」
本当にそういったかどうかは、定かではないが、少なくとも大学でイタリア語を履修していたレベルに聞き取れたニュアンスはこうだった。
あぁ、ここで支払わなかったら、きっと殺されて妻は訳がわからないまま明日を迎えるんだろう。
邦人殺害でニュースになるかもしれない。
そんなわけのわからない妄想が一瞬よぎったが、
次の瞬間、財布からクレジットカードを取り出して、素直にさしだした。
彼はカードを持って店の奥へ消えた。
しばらくして、子機をもってきた彼は暗証番号を押すように促した。
本当に980ユーロで済むのだろうか?
でも、行きて帰るにはもう押すしかない。
とりあえず、生きて返った後に、いろいろ確認すればいい。
今は、ここから逃げ出すことが先決だ。
支払いを終え、逃げ帰るように僕は店の外へ出た。
店の門番をしているデブのスーツを横目に一目散に走り、ハードロックカフェを過ぎて大通りにでたところで、
ホテルにいる妻に電話をかけた。
外にいること、大金をとられたこと、
とにかく、帰ること。
オペラ座の前を通りすぎ、一直線にホテルへ返った。
この件で妻はショックを受け、打ちひしがれていた。
ぼったくり被害にあったこと何よりも、妻を置いて外に出歩いたことに悲しんでいた。
翌日、大使館に出向き、被害報告をすることにした。
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会
ホテルから歩いて5分のサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会に向かった。
この教会は、天使と悪魔で3番目のFIREによって処刑が行われた場所で、天才彫刻家ベルニーニの傑作「聖テレジアの法悦」があり、情熱的で官能的な光景を描写している。
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会
ボルゲーゼ枢機卿の命により1620年に建立されたカルメル修道会の教会。バロックの粋を集めた装飾が素晴らしく、天井を覆うフレスコ画「異端に勝利する聖母」、クーポラの「聖母被昇天」などがみどころ。
教会の外観
残念ながら、朝のミサが行われていたため、テレジアの法悦に浸ることは叶わなかったが、遠くからそれを拝むことができた。
ミサの様子
内観は、窓が一つも見当たらないにも関わらず、光がほど走るようにキラキラとしていた。
内観
コロッセオ
コロッセオ
観光名所として有名なコロッセオ。先ほどの教会から真南にずっとすすんだ場所にある。
歩いていくには少し遠いので、地下鉄を使う。
地下鉄は、米国の首都ワシントンに行った時ほど危険は感じなかったが、すり被害に気をつけて万全の注意を払った。
ライトは直接当てるのではなく、上に向かって照らし、壁に反射させた演出が印象的だった。
ローマ市内の地下鉄
コロッセオもまた、すんなり入るには事前予約が必要だった。
ローマパスとオムニチケットいうセットパスがあり、3日間の地下鉄乗り放題と2箇所だったか、施設の入場料が無料のパスが販売されていたので、前日に購入していた。
ローマパス
OMNIA Vatican and Rome Card - Your Rome City Pass
OMNIA Vatican and Rome card official site - Save o
中に入ると、過去の模擬戦場の跡が広がっていた。
聞くところによると、広場に水を張り、模擬海戦までも行っていたというから驚きだった。
コロッセオの内部
コロッセオから、隣に広がるフォロ・ロマーノを眺めて、次の目的地へ。
フォロ・ロマーノへはいるのも大金が必要だったため、歩き疲れを考慮して、今回は訪れることをやめた。
フォロ・ロマーノ
トラステヴェレ
トラステヴェレ
バスに乗り、テベレ側を超えて、トラスヴェレという地域に向かう。トラステヴェレとは「テベレ川の向こう側」という意味があり、テベレ川の西一帯をそう呼ぶ。
ローマ市内とは打って変わって、非常に落ち着きのある雰囲気を楽しむことができる場所だ。
川の上にある三角州には病院が立ち、天使と悪魔の映画には出てこなかったが、原作の小説ではラングドンが川へ落下し、この病院で治療を受けていました。
トラステヴェレの路地
カフェで出会ったイケメン
パスタ屋に入って、昼食をとる。
日本で食べるよりもイタリアのフェットチーネはもちもちとしていて、味が濃かった。(とはいえ、イタリアのすべてのパスタを知っているわけではない)
ビール(僕はのめない)
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂
この教会の名前は、文字通り「テベレ川を越えた所のマリア様をまつる聖堂」である。その起源を西暦221年に遡る、ローマでも最古級の教会とされる。東面にあるファサードの金モザイクが目をひく。
建築様式としてはロマネスクに分類される教会堂である。
ローマにおいて聖母マリアに捧げられた教会は本聖堂が初であるとされるが、同じくサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂もローマで初とされており、この点についてははっきりしない。
天井に施された黄金の装飾が目を引く
拡大した部分だけでも作るのに何ヶ月もかかりそうな細かい装飾

@WorldWalker16
2019-03-08 12:48:08
[UHD]Basilica di Santa Maria in Trastevere/サンタマリア・トラステヴェレ教会 https://t.co/08UgMci4SC via YouTube
中には変なキエーザもあり、悪魔のような絵も添えられている。
まるでうちの猫のようだ。
なにこれ
うちのプスプスにクリそつ
ナヴォーナ広場
ナヴォーナ広場は、先ほどのトラステヴェレから、真北に向かった場所にある。ナヴォーナ広場
ここは、天使と悪魔で4つめの殺害現場となりかけた場所である。
WATERの名の通り、大きな噴水が見事に立たずむ。
1世紀にドミティアヌス帝が造らせたドミティアヌス競技場が元になっている。すぐそばには、ローマで一番有名な朝市が開かれるカンポ・デイ・フィオーリがある。
広場中央には、4つの大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)を擬人化した彫像の噴水型のオベリスクがある。
これらの彫像は、やはりベルニーニによって造られたものである。
圧巻の噴水
映画では噴水の中に落とされて溺れかけたシーンがったが、実際にはそこまで深くはなさそうである。
近くによると、彫刻の素晴らしさがいっそうわかる。
ダイナミックだという言葉は、ここで使うべきである。
非常に繊細に、ダイナミックに表現されている。
この日は近くの大使館でイベントがあったらしく、POLIZIAのバイクが騒がしかった。
ローマ警察の白(青)バイ
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会は、ナヴォーナ広場の近くにある。聖母マリア、聖ドニ、フランス王聖ルイ9世に捧げられている。1518年から1589年にかけて、ジャコモ・デッラ・ポルタが設計しドメニコ・フォンターナが完成させた。
目的もなくただ訪れたが、ここに、ついにカラヴァッジョの名作が眠っていたことを知る。
この教会で最も有名な絵はコンタレッリ礼拝堂にある一連の絵であり、バロック絵画の先駆者カラヴァッジオが1599年から1600年に聖マタイの生涯を描いた絵である。
「聖マタイの召命」、「聖マタイと天使」、「聖マタイの殉教」の3枚がある。
聖マタイと天使、右に聖マタイの殉教、左に聖マタイの召命がある。
世界的な名画や美術品がひっそりと安置されていることが多く、ふらっと訪れた教会で、突然目の前に誰もが教科書で知っているような絵画が現れるのはとても衝撃的だった。
しかしすごいのはこれだけではない。
柱の彫刻も凄まじく、大理石でできているというのにまるで カーテンのように滑らかに掘られている。
まるでカーテンのよう
パンテオン神殿
パンテオン神殿
誰もが一度は聴いたことのある、パンテオン神殿。パルテノン神殿ではない。
パンテオンは元々アウグストゥスを奉ることを予定していたが、市民の反発を避けるため、万神殿に変更されたとの説もある。
ローマ神が信じられなくなったあとも、この象徴的な空間性によって、608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れた。建物自体が非常に改築されにくいものだったので、この荘厳な空間は、今日でも見ることが出来る。ラファエロの墓もここにある。
天井は突き抜けていて、雨が降ると濡れる。
天使と悪魔では、手に入れた資料の透かし文字から、画家ラファエロ・サンティの墓としてヒントを得たラングドン教授が、最初に訪れる場所だった。
確かに、ラファエロサンティの墓はここにあった。
ラファエロの墓
Chiesa di Sant' Ignazio di Loyola
パンテオンからの移動
日本語で聖イグナチオ教会(サンティニャツィオ・デ・ロヨラ教会)ともいうが、イグナチオとは、あのイエズス会を作ったイグナチオ・ロペス・デ・ロヨラのことである。
昔、ザビエルではなく、イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラの方をひたすら覚えて連呼していた記憶がある。
ここには、ものすごい天井画が眠っている。
真下から見ると、まるで天井が空に突き抜けているかのように立体的に見える絵だ。
テレビでもたまに話題になることがあるが、写真では伝わらないほど、実際にみたときの感動はすさまじいものがあった。
3D天井画
天井画の四方には4大陸の象徴があしらわれている。
左上:Africa 象牙をつけた騎ワニ
右上:Asia 騎ラクダ
右下:Europa 騎馬
左下:America 先住民 with 槍
改めてヴァチカン市国へ
ここで、ヴァチカン美術館とサン・ピエトロ大聖堂の中を観覧しに、もう一度ヴァチカンへ入国。今日の空は快晴。空が青かった。
バチカン美術館の入り口にはミケランジェロとラファエロの肖像石?なる彫刻が。
チケット売り場への長蛇の列は1kmほど続いていて、美術館に入るだけでも半日かかりそうな勢いだった。
事前予約しておいて、本当に良かったと思う。
美術館は、下の枠で囲った部分すべてが美術館であり、超絶巨大であった。
クソ広い
こんなの、ゆっくり見ていたら1週間はかかってしまう。
しかし、ローマ・カトリック教会が世界中から集めた(せしめた)貴重な美術品がごまんと収められている。
その一部の写真だけでも、ここに掲載する。
石像コーナー(見飽きた)
石像コーナー2(見飽きた)
忘れたけどすごい石像
巨大な絨毯画もあった
ペットもしっかり描かれている。このころから、犬猫だったのだろう。イエスの後ろには必ず後光が差している。
ラストの最後の審判。誰もが知っているミケランジェロの作品。ものすごい絵画。ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰を表す。
本当はみんな裸で描かれていたのに、当時の教皇からダメ出しをくらってもうわけ程度に服を着せたらしい。
本当はみんな裸で描かれていたのに、当時の教皇からダメ出しをくらってもうわけ程度に服を着せたらしい。
最後の螺旋階段。ジュゼッペ・モーモの作品。交わることのない二つの階段が螺旋状に並んでいる。

@qp___it
2019-03-14 22:53:25
個人的にヴァチカン美術館がダントツでした。
なにがすごいって、これらを人が創り上げたってのがすごい…。 https://t.co/f2QJzP6P8E
なにがすごいって、これらを人が創り上げたってのがすごい…。 https://t.co/f2QJzP6P8E

@F_Childers1714
2019-03-14 12:17:17
開門から正午まで目一杯芸術鑑賞。ヴァチカン美術館。システィーナ礼拝堂。ラファエッロ。ミケランジェロの『最後の審判』はダ・ビンチの最後の晩餐にも劣らない。圧倒されました。 https://t.co/gydoM4IoHy

@yukimi_nyan
2019-03-13 05:12:17
ヴァチカン美術館!なんで昔の人はこんなに彫刻をつくったのかめちゃくちゃ疑問でした
#一眼レフ初心者 #Vaticano https://t.co/htA2j5sxUA
#一眼レフ初心者 #Vaticano https://t.co/htA2j5sxUA

@kyugo_mountain
2019-03-09 10:30:10
ヴァチカン美術館で団体ツアーのガイドさんが阪神の旗持ってて最高に面白かった
#な阪関無 https://t.co/0OUvaXBQdP
#な阪関無 https://t.co/0OUvaXBQdP

@sawako_takeda
2019-03-08 11:00:20
バチカン美術館+システィーナ礼拝堂
高校生の頃にダン・ブラウンの作品を見てから憧れていたヴァチカン🇻🇦 場所: Musei vaticani https://t.co/hcoYBvU6WK
高校生の頃にダン・ブラウンの作品を見てから憧れていたヴァチカン🇻🇦 場所: Musei vaticani https://t.co/hcoYBvU6WK

@Shiori__o
2019-03-08 10:00:09
イタリアのローマに居ます🇮🇹
ヴァチカン美術館、ラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニををはじめとしてマティス、ベーコン、モランディ、シャガールなど沢山の巨匠の作品が並んでいた!!すごい https://t.co/bwSyqQfllc
ヴァチカン美術館、ラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニををはじめとしてマティス、ベーコン、モランディ、シャガールなど沢山の巨匠の作品が並んでいた!!すごい https://t.co/bwSyqQfllc

@kobeitaliaya
2019-03-08 03:31:24
イタリア観光も早起きです。
ヴァチカン美術館は開館30分前に行って並ぶのがベターですし、朝7時前に街を歩いていたらなぜか水の流れる音が聞こえてきて、「え?これ何の音??」と思って音のする方に歩いていったらトレヴィの泉が現れる、とい… https://t.co/iVhCkxeSy2
ヴァチカン美術館は開館30分前に行って並ぶのがベターですし、朝7時前に街を歩いていたらなぜか水の流れる音が聞こえてきて、「え?これ何の音??」と思って音のする方に歩いていったらトレヴィの泉が現れる、とい… https://t.co/iVhCkxeSy2
サン・ピエトロ大聖堂
大聖堂の入り口には、スイス衛兵が突っ立っている。微動だにしないが、これはこれでとても名誉な職業だそうで。
現在ではスイスは傭兵制度を廃止しているが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されている。
21世紀現在では数少ない傭兵隊であり、現存する国軍では創設時期が最古の軍である。
今日の任用基準は次の通り。
スイス衛兵。
スイス衛兵2
まずはサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(ドーム部分)に登る。
てっぺんに至るまでに、中の最頂部から見下ろすことができる。
どれだけ高いところにいるかがわかる。どんだけでかいんだこの聖堂。
見上げるとそこには天井画。一体こんな場所にどうやって描いたのかと想像するだけでゾッとする。
ひたすら疲れた足で終わりのない階段を延々と登った末に見えたのは、絶景だった。
クーポラの頂上からは、昨日行ったサンタンジェロ城が見えた。
向こうから見た景色とは全然違って見えた。
サンタンジェロ城
サン・ピエトロ広場を一望。
こんなところでプロポーズをしているカップルもいた。
微笑ましかった。
ローマ教皇庁
天使と悪魔の小説では、カメルレンゴがこの石像の間で焼身自殺をした。
サン・ピエトロ大聖堂の内部
いうまでもなく、とてつもなく巨大な聖堂サン・ピエトロ大聖堂の中にいくつもの大聖堂が入っているような形になっている。
内部地図。十字型が採用されている。
天井まで何mあるんだというくらい高い
そして、この旅で一番衝撃を受け、感動した彫刻がこちら。
ミケランジェロ作のピエタ。
ピエタとは、聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。
多くの芸術家がこのピエタを製作した中で、ミケランジェロのものがもっとも有名で、ピエタといえばこれになる。
ピエタ。涙が出るほど美しい。
この感動は、写真ではわからない。息をのむほど美しく、繊細で、滑らかで、動的だった。
これ、石像だよ?
まるで布やんwww
感動もひとしおに、奥へ。
ペテロ像もありました。
ずーっと昔から経験な信者が足にキスをするもんだから、かなりすり減ってツルツルになってますがな。
石がすべすべになるくらいってどんだけーと天を仰いだ。
ペテロさん
天を見上げると、
ベルニーニ作の大天蓋(パルダッキーノ)がそびえ立つ。
この直下に、例のペテロの墓が眠っているそうで。
なんだかよくわからない巨大な建造物
ベルニーニ作「教皇アレクサンデル7世の墓碑」が怖かった。
骸骨が扉の奥から飛び出てきて、天使に包められている感じが伝わってくる。
動的な素晴らしい作品。
というわけで、サン・ピエトロ大聖堂を後にし、最後は天使と悪魔のあのレリーフを探しに。
第2の殺害現場となったサンピエトロ広場の床のタイルの1つに、東の風を模したものがある。
これだ!
このタイルを頼りに、次なるFireの手がかりを得た。在イタリア日本国大使館へ
ヴァチカン市国からの道のり
日が暮れる前に、日本大使館へ行って昨晩の被害の話をしに行った。何か対策を売ってもらえるかもしれないし、運が良ければお金も戻ってくるかもしれない。
入り口でパスポートを見せ、日本語の通じない門番とやりとりをした後、中に入れてもらえることになった。
領事直々に話を聞いてくれるという。
ことの経緯を説明すると、領事は「またか」といった顔をした。
話を聞くところ、一人身の日本人男性をターゲットにした同様の詐欺被害が多いそうだ。
被害を受けた店の名前を伝えると、奥の事務所で職員と一緒に「あそこだなー^^」的なノリで会話をしていた。
結論としては、
望みは薄かったが、
近くの警察署へ行ってみた。
一瞬で、無理対応された。
(なにやら、大使館によるイタリア語の被害届を受け取らないと動きたくないとかなんとか)
どうしようもないため、観光を続けることにした。
ここら辺で、めちゃくちゃトイレに困った記憶がある。
そういえば、イタリアでトイレに困らなかったことはなかった。
どこへ行っても公衆トイレがない。
日本でどれだけコンビニに安心して頼りきって生きてきたのか、身にしみてわかった。
イタリアには、コンビニなどなかった。
その代わり、近いものとしてFarmacia(薬局)なるものがある。薬だけでなく、日用品も売っている。
このファルマチアはいたるところに存在していた。
やっとこさ見つけたと思ったらトイレはきったない。
たぶん、文章にできない。
マクドナルドのトイレは、言葉として紡ぐことのできないレベルの汚さだった。
あと、「便座」がないトイレが多かった。
じゃあ大はどうすればいいのかというと、尻をつけずに頑張るしかない。
結果、ホテル以外ではしなかった。
女性はどこへ行っても大変である。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
大使館からポポロ教会までの道のり
地下鉄を使って、サンタ・マリア・デル・ポポロ広場へ。ポポロ広場のオベリスクと双子?教会
広場に入ってすぐ左手にあるのがサンタマリアデルポポロ教会だ。
天使と悪魔の最初の殺害現場となる場所。
ここの「キージ礼拝堂」は、豪商アゴスティーノ・キジが画家ラファエロに依頼して家族の霊廟を作らせたのが元になっていると。
別名、ペラ・デッラ・テーラ "土の礼拝堂"
ここで、ラングドンはベルニーニがつくった作品が、イルミナティの秘密集会場所への道しるべになっていると考える。
ポポロ教会の外観
映画と同じく、ちょうど工事中だったのがウケる。
日が落ちる直前で、教会もしまりかけていたので急いで中に入った。
夜になると、敬虔な信者によるお祈りやミサ以外の観光客の立ち入りを断る教会が多い。
ここのキージ礼拝堂には、ベルニーニの彫刻「ハバククと天使」が納められている。
(写真撮り忘れた)
http://bernini.chinmiroma.com/archives/791より引用
それよりも(←
ここにもカラヴァッジョの名画が眠っていた。
チェラージ礼拝堂に、「聖ペトロの磔刑」と「聖パオロの改宗」が納められている。
聖ペトロの磔
聖パオロの改宗
チェラージ礼拝堂
ローマの猫
ローマにも猫はいた。ホテルへの帰り道の途中で寄ったレストランの看板猫がとても綺麗だった。
見つめるにゃん
お店から出てきて、外の客におすそ分けを期待するにゃんさん。
金髪美女
そういえば、まともな料理の写真を挙げていなかった。
といってもこれは、イタリア料理ではないけれど・・・。
最終日
最終日は、フィレンツェへ向かい、ウフィツィ美術館を回ってからそのままローマに戻って飛行機に乗るという算段だった。サンタ・マリーア・マッジョーレ教会
ホテルからサンタ・マリーア・マッジョーレ教会への道のり
「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられる。
四大バシリカとはこのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)である。
聖堂前のバジリスク
4大バシリカと呼ばれているだけあって、ここのステンドグラスは息をのむほど美しかった。
外観
ステンドグラス
内観
半地下礼拝スペース
ここにも、ピラミッドの三角が
フィレンツェ
再びTrenitaliaに乗って、ローマからフィレンツェへ向かう。ローマからフィレンツェへ
最終日は時間も少なかったので、突撃弾丸ツアーさながらの急ぎ足で目的地へ向かった。まず、駅からひたすらにアルノ川に向かう。
アルノ川についたら、ひたすらヴェッキオ橋に向かう。
ヴェッキオ橋
川をカヌーでぐいぐいいくおじさん
シニョリーア広場に着くと、そこには無数の石像が置かれていた。
ダビデ像のレプリカなんかも。
公共の広場に石像がずらずらと放置されている状況が理解できない。
しかもここは、フィレンツェ市役所前の広場である。
とりあえず、ヴェッキオ宮殿とウフィツィ美術館に入ることに。
ウフィツィ美術館もバチカン美術館と同じく、事前予約必須の名所だが、事前予約してあっても入場まで1時間ほど並ぶ羽目になった。
こんな感じで、入場までの手続きもよくわからないしめんどくさい
ボッティチェッリ
ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi) といい、ボッティチェッリは兄が太っていたことから付いた「小さな樽」という意味のあだ名である。まずは、ヴィーナスの誕生から。
教科書でしか知らなかったボッティチェッリの生の絵がみられるなんて思ってもみなかった。
実際に見て、解説をきくとなぜこの絵が有名とされているのかがよくわかった。
激感動。
思った以上にでかかった。
ヴィーナスの誕生。縦172.5cm、幅278.5cmの大作。
誰もが知る名作を次々と目の当たりにする快感をここでは味わった。
次に、春。
この絵には色々解釈があって結論が出せないそうで。
ただ、右からストーリーになっていることはたしかなようで、息を吹かれた女性が愛に目覚めてヴィーナスになる的なそんな内容らしい。
別の人間が描かれているわけではなかったことに驚いた。
プリマヴェーラともいう。
フィリッピーノ・リッピの東方三博士の礼拝
東方三博士の礼拝とは、聖母マリアがキリストを生んだ際に3人の博士が祝福に来たというシーンのこと。この題材で多くの芸術家が絵画を残しているが、次の写真はボッティチェッリの弟子にあたるフィリッピーノ・リッピの描いた東方三博士だ。
リッピの東方三博士
多くの東方三博士の絵画は、マリアをこれ見よがしに祝福する(=博士や取り巻きが笑顔)場合が多いが、これはどちらとも取れない表情をしている。
この絵は、レオナルドダヴィンチの未完成の東方三博士を引き継いで描いたものとされている。
そのダヴィンチの未完の作品がこれ。
ダヴィンチの東方三博士
よく見ると、博士や取り巻きがみんな浮かない顔をしている。
まるでマリアが何もせずに懐妊したことに疑問を抱いるようだ。
当時、このような表現をすることはとても勇気のいることだったんじゃないかと思う。
これが未完のまま終わっていることに、なにか闇を感じるが、本当の理由は、これを描いている間にミラノに引っ越したからだそうで。
セバスティアーノ・デル・ピオンボ
写真があったのでUPセバスティアーノ・デル・ピオンボの、アフロディーテとアドニスという作品。
アフロディーテとアドニス
アドニスがイノシシに殺されて悲しむというシーンだけど、よく知らないのでもっと知りたい方は、下のサイトを見るといいでしょう。
ギリシャ神話|アフロディーテ:アドニス - アネモネの花
槍は見事にイノシシの脇腹に命中。が、イノシシは倒れません。猛然とアドニスに向かって駆けてきます。
カラヴァッジョ
そして、衝撃的だったこの絵。今にも動きだしそうな臨場感と溢れ出す恐怖の絵。
ホロフェルネスの首を斬るユーディット
この首をかっ切られる男は余程のことをしたんだろう。
カラヴァッジョの絵かと思いきや、彼の活躍により技法を真似たカラヴァジェスキ(カラヴァッジョが好きな人たちのこと。これマジ)のアルテミジア・ジェンティレスキが描いたものだった。
メデューサの首
次の作品は、カラヴァッジョの本物メデューサ
カラバッジョは2つのバージョンの「メデューサ」を、それぞれ1596年と1597年に描いている。これは1597年の作品で、画布に油彩で描きイチジクの木を使った盾に貼ってある。
祭りの後のバッカス
バッカスは、あのバッカスでチョコレートのバッカスのバッカスである。つまり、お酒の神様のことである。祭りの後のバッカス
これもカラヴァッジョが書いた作品で、実は左下のワインボトルにカラヴァッジョ自身がうっすらと描かれているが、生でよく見ないとわからないくらい薄く描かれている。
五百人広間と「アンギアーリの戦い」
最後に、ヴェッキオ宮殿に行った。最初に訪れたのは、やはりこの場所。
五百人広間は、ヴァザーリとその工房による、天井画と壁画で装飾されている。
天井の中心には、ヴァザーリに装飾を命じたコジモ1世の肖像が描かれている。
ここはラングドン教授シリーズのインフェルノで、敵の暗殺者が天井から突き抜けて死亡した衝撃的なシーンで使われたところだ。
五百人広間の天井
アンギアーリの戦い
実は、壁に絵を描く予定だった人物はミケランジェロとレオナルドダヴィンチだった。しかし計画の途中で二人ともフィレンツェを離れ、この豪華な競作計画は頓挫したとのこと。
CERCA TROVA(探して、見つけだせ)
壁の絵の中には小さな文字で「CERCA TROVA(探して、みつけだせ)」と描かれている。これは、ヴァザーリによるメッセージである可能性が高く、絵の下にはダヴィンチの絵が眠っているかもしれない説が有力だ。
イタリアの美術史家でカリフォルニア大学のマウリツィオ・セラチーニ教授は、この『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』の一つの裏にダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』が隠されている、と主張している。
そこで、五百人大広間を隈なくレーダーやX線による調査を行ったところ、ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』があったと言われる東側の壁面は、ヴァザーリによってもう一つ壁が作られた二重壁になっていたことが分かった。
なんだか、ドリームじゃないですか。
2011年11月、セラチーニ教授は16世紀半ばの貴重なフレスコ画が残る壁に穴を穿ち、内側にもう一つの壁を発見した。その壁からはダ・ヴィンチの絵と思しき顔料が確認された。
すげえドリームじゃないですか。
そのあとはどうなったんだろう・・・。
どっかでみたニュースだと、それ以上は深追いせずに、ドリームで終わらせたとかなんとか。

@euro_tour
2019-03-16 04:20:38
🇮🇹フィレンツェ、パラッツォ・ヴェッキオで『未完の作:アンギアーリの戦い』展、開催中!~来年1/12 レオナルド没後500年記念。残る痕跡を実際にたどり、また最新の3D映像も交えつつ、レオナルドの時代を体験できます。
👉… https://t.co/ZrxeL4zfU1
👉… https://t.co/ZrxeL4zfU1

@singengou
2019-03-11 08:32:53
ジェイムズ4世
「戦争の絵画なら知識を授けよう。軍の指導者としての体験は貴重だ」
ダ・ヴィンチ
「アンギアーリの戦いのことを言っているのか」
ジェイムズ4世
「私は敗死するだろう。スコットランド王としてイングランドに侵攻する… https://t.co/A7vGZt6eve
「戦争の絵画なら知識を授けよう。軍の指導者としての体験は貴重だ」
ダ・ヴィンチ
「アンギアーリの戦いのことを言っているのか」
ジェイムズ4世
「私は敗死するだろう。スコットランド王としてイングランドに侵攻する… https://t.co/A7vGZt6eve

@CestvsMiyu
2019-03-09 05:16:42
アンギアーリの戦い展、昨春福岡で鑑賞🎨 地球ドラマチック「モナリザ 微笑が秘めた真実」9日(土)19時/18日(月)0時再放送/NHK Eテレ(教育) https://t.co/xT4OBMzQKF
CERCA TROVAの文字。持っていた一眼レフで拡大してなんとか視認できたレベル。
メディチ家のドゥオモ
宮殿のベランダから見えた。メディチ家のドゥオモ
ダンテのデスマスク
インフェルのでラングドンが盗んだダンテのデスマスク。これが彼の顔だった。
ダンテのデスマスク
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
フィレンツェといえばこれという写真でよく見るサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。麓はこんな感じで、意外にもオレンジ色なのは屋根部分だけだった。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
実はことき、突キュ列車までの時間が足りなくて急いでいたんだけど、どうしても最後にピザが食べたくて、一皿を片手で抱えながら、走っていた。そん時に食ったピザが、今まで食べた中で一番美味しかった。
急ぎすぎて写真は撮れていない。
最後の波乱
ここで、いろいろあったが楽しかった新婚旅行も終わりと思いきや、まだあった。帰りのTrenitaliaの特急が出発して10分後くらいに、トンネル内で急停止した。
しばらくして何もないので、車内を回ってきた車掌に聞いたら、
こう返ってきた。
「Engine doesn't work.」
はい?ってな感じで。
彼も知らないと言いたげだったが、ダッシュボードのエラーでエンジンが動かないの一点張り。
よくわからないが、エンジンが動かないのであれば、もう電車は動かないのだろうと思った。
30分ほどして、のろのろ少し動いたと思ったら、ど田舎のど真ん中でまた停車。
また30分くらいが経ち、
さらに1時間遅れたならば、完全に飛行機に乗り遅れるというところで、
こんな表示が
謝罪のアナウンス
なんて書いてあるのかというと、
Dear passengers, we inform that due to a technical control to the onboard systems the train is 4 minutes late.
Trenitalia apologizes for the convenience.
(意訳:乗客の皆様、制御システムの技術的な問題により4分遅れています。ご不便をおかけしますことをお詫び申し上げます。)
???
もう1時間以上経っているんですがwwwww
4分てw
こんなのんびりしたイタリアのジョークに、乗客のみなさん爆笑。
いよいよ万事休す。
というところでなんとか動き出した。
窓からずっと眺めてた。羊さんの群れ。
なんとか間に合いそうだ。
ほんで動き出してしばらく、
お次のお詫びのご案内。
お詫び2
これはさっきの4分が116分に変わっただけ。
次は2時間遅れとキリの良い時間で案内するのではなく、2時間から4分引いた時間で案内してきやがった。
ちょっと遊びすぎじゃないかこれ。
電車が故障で動かないピンチにも、冗談をかますイタリアの鉄道会社。心臓つええわ。
(本当は大真面目だったのかも?)
つまり、こういうことだった。
公式サイトのルール
トレにタリアの公式サイトには、遅延による返金のルールが示されている。
• 25% of the ticket price for a delay ranging from 60 to 119 minutes
• 50% of the ticket price for a delay of at least 120 minutes
つまり、116分は、120分に満たないので、25%しか返しませんよということだ。
返してくれるだけでもありがたいが、
今回は、間違いなく2時間オーバーしていたので、帰国したあとにちゃんと請求してやろうと思った。
とりあえず、帰ることが先決だった。
帰国後
飛行機には、なんとか間に合ったが、お土産を買う暇はなかった。
ビザ食っといてよかった。
日本に着いて落ち着いてから、
Trenitaliaのお問い合わせフォームから、半額返金の請求をした。
正直、イタリア人からお金が帰ってくるとは思わなかったし、そもそもメールを見たよーの返事も1ヶ月後くらいかと思っていた。
すると、
「ti confermiamo che la tua richiesta di indennizzo e' stata accettata per i seguenti biglietti」という内容のメールが返ってきたのが、11/1だった。
一週間そこらで、返事が返ってきた上に、支払い承認が降りたのだという。
まぁ、ここからが本番できっと1年後に返ってくるのだろうと思ったが、
その約1週間後の11/9に、返金処理がPayPalからされていた。
びっくりした。
ちゃんと、購入金額€79.80 EURの半額が支払われた。
すごいぞイタリア。
(もっと返ってきてほしいお金があるんだけども。。。)
こんな、喜怒哀楽の詰まった思い出深い旅行になりました。
次は、電車の途中でみた天空に浮かぶような町を訪れてみたい。
多分これ
死にゆく町、チヴィタ・ディ・バーニョレージョ

@saigai_tf
2019-03-15 08:28:17
【チヴィタ】 #旅 #travel #WhereToVisit? #イタリア #フィレンツェ #チヴィタ https://t.co/3KQxpUsWSQ https://t.co/m8KSB1ODFi

@666Maarie
2019-03-15 00:54:57
ベネチア、フィレンツェ、オルビエート、チヴィタ、ローマ、バチカン、、6日間でめちゃくちゃ観光しまくりました。 https://t.co/EThM2IAUyv

@buono_italia_
2019-03-13 01:00:35
死ぬまでに泊まりたい!
チヴィタ・ディ・バニョレージョのホテルB&B10軒
まさかチヴィタに泊まれるなんて...!
https://t.co/EDGmyl1x5R
チヴィタ・ディ・バニョレージョのホテルB&B10軒
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@zekkei111
2019-03-11 05:12:56
【イタリア】チヴィタ
チヴィタ・ディ・ヴァニョレージョは、イタリアの中部にある切り立った崖の上にある村です。 https://t.co/quo8HkbsVA
チヴィタ・ディ・ヴァニョレージョは、イタリアの中部にある切り立った崖の上にある村です。 https://t.co/quo8HkbsVA
というわけで、今回の旅で、
キリスト教圏の背景や文化、考え方、美術のありかたの感覚がとても磨かれた。
次はダヴィンチコード巡りで、フランス、アイルランド、イングランドあたりを訪れるのもいいかも。
長編だったけど、読んでくれた人はありがとう。