亡き友よ「忘れるものか」 気仙沼の高校生が防災士に 2021-03-31


図 この記事のタイプ傾向 (「気が緩む」「苦労」「好き」「大切」「大好き」「揺れ」「笑い」「避難」)

(https://news.goo.ne.jp/article/asahi_region/nation/asahi_region-ASP3Z6SYFP34UNHB003.htmlより引用)
 10年前の3月11日。
津波が幼なじみの親友を奪った。
「大切な人を2度と災害で亡くしたくない」。
そう思い続けた宮城県気仙沼市の高校生が、地域防災の要となる防災士になった。
今後、あの日を知らない子どもたちに震災を知ってもらい、備えて、逃げる大切さを伝えていこうと心に決めている。
 防災士になったのは県立気仙沼高校2年、三浦向陽(ひなた)さん(17)。
市の中心部から南へ約11キロ、海に面した大谷地区の生まれだ。
 震災当時は大谷小の1年生。
熱があり、こたつで寝ていた時、いきなり揺れが大きくなった。
テレビは停電で消え、祖父や祖母はパニックになった。
 通りかかった車の運転手が「大津波警報さ出でっぞ」と叫んだ。
父(57)は幼稚園の妹(15)を連れ戻しに、外へ飛び出していった。
三浦さんは「早く帰ってきて」と思いながら、外でずっと待っていた。
 高台の公民館に避難して間もなく、そばの大谷小の校庭に津波が流れ込んできた。
川を津波がさかのぼり、竹が「バキバキ」と折れていく。
車でさらに高台へ逃げた。
後ろを振り向くと波に乗って漁船が追いかけて来ていた。
 家族は全員無事だったが、海岸から約100メートルの木造2階建ての自宅は基礎しか残らなかった。
学習机を買ってもらったばかり。
テレビも新しくしたばかりだった。
 しばらく経って、クラスメートが行方不明になっていると知った。
幼稚園の時からの親友の男の子だった。
クラスの人気者で福神漬けが大好き。
遊具や鬼ごっこで一緒によく遊んだ。
 どこかで生きていると思っていたが、いつしか教室の親友の机に遺影と花が置かれた。
毎年3月11日には親友宅に行き、両親と話をする。
「忘れるものか」と自分に言い聞かせた。
 「防災士」は、高校生になってから知った。
防災知識と技能を備え、NPO法人「日本防災士機構」が認証する民間資格だ。
全国で20万人以上いる。
「災害から地域住民の命を守る存在」と聞き、心が動いた。
 自分も津波の知識がなかった。
本来、地震直後に一人でも逃げるべきだったのに、父が帰るまで家で待っていた。
一人で下校中だったら危なかった。
「身近な人を亡くすのはもうたくさんだ」と決意した。
 昨秋、気仙沼市が開いた2日間の養成講座を、高校生でただ一人受講した。
テキストは分厚く、しかも学校の定期試験と同時期。
苦労したが合格し、このほど認証状が届いた。
 震災から10年。
危機意識の薄れを感じる。
自分ですら、地震が起きても「3・11と比べて小さい」と思うと気が緩む。
2月の福島沖地震の時、逃げる準備をしたクラスメートもいれば、寝てしまった人もいた。
 目指すは「災害死ゼロのまち」だ。
本当なら、一緒に時を過ごし、笑い合うはずだった、親友の面影が背中を押す。
 地域の防災訓練の運営や、SNSを活用して同世代の防災意識を高めたい。
わかりやすい方法で、避難経路の確保や食料の備蓄を訴えていきたい――。
防災士として、その使命と責任を感じている。
(https://news.goo.ne.jp/article/asahi_region/nation/asahi_region-ASP3Z6SYFP34UNHB003.htmlより引用)

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