カンニング竹山も“失言”で炎上…芸能人コメンテーターの是非 2021-04-04


図 この記事のタイプ傾向 (「恐れ」「厳しい」「心配」「抗議」「発表」「異例」「分からない」)

(https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-721057.htmlより引用)
(文=水野詩子/ライター、コラムニスト) 東京都がカンニング竹山(50)に対し、番組内での発言を訂正を再度求め、抗議したという異例の事態が発覚し、賛否両論が巻き起こっている。
 きっかけは、3月28日放送の生放送番組「アッコにおまかせ!」(TBS系)で、竹山が広報用ユーチューブの制作に税金を「4.7億円を注ぎ込んだ」と都を猛烈に批判したこと。
その後、竹山はすぐに自身の発言の誤りに気付き、「4.7億円は動画制作費ではなく、広告費全体の経費であった」と訂正。
「すみません」と放送内に謝罪した。
 しかし、日刊ゲンダイが4月1日に都が竹山に抗議した一件を報じるまで、実際に4.7億円が全て動画制作費に使われていたと思い込んでいた人も多く、都は抗議の電話などの対応に追われたとしている。
 この件に関し、<政治や行政に対してタレントが浅い知識でコメントをすべきではない><裏付けが取れていないのに思いつきや感情に任せて批判している芸能人が多すぎる>と竹山の”失言“に厳しい意見がある一方で、<一個人に対する言論封殺ではないのか?><タレントに抗議する前に、都としてもっとやることがあるはずだ>など都の抗議を冷ややかに見る向きもある。
■立ち位置が不明瞭な芸能人コメンテーター かねてより、芸能人が番組コメンテーターを務めることについては疑問視する見方もあった。
例えば、藤田ニコル(23)が数年前、いじめによって亡くなった女性中学生について「いじめた側の子たちが一生罪悪感を背負っていかなきゃいけなくなっちゃう。
ネットで犯人探しとかあるんじゃないかなと、すごく心配です」と世間の認識とはズレたコメントし、批判が殺到したことがある。
 人を死に追いやるほどいじめた側は、むしろ生涯罪悪感を背負っていくべきだと考えるのが一般的な感覚のはずだが、ニコルは10代からメディアに出続け、不特定多数に言葉の攻撃を受けてきた。
だから「加害者に対するネットの攻撃」に着目し、つい加害者側への配慮を見せてしまったのだろう。
 もちろん、タレントによる視聴者目線の素直なコメントが良い展開を生む場合もある。
有識者との対比も出やすく、素朴な疑問をぶつけることにより、視聴者が知りたい情報が引き出されることことも多い。
しかし、「視聴者目線で話している」という自負や気負いが一般的な認識との相違を生んでしまうこともあるだろう。
 芸能人が政治や行政、社会問題に対し、どれだけ一般的な感覚で考え、言葉を発することができるのか? あるいは、コメントする分野についてどれだけ自ら調べたり知識を蓄えているのか? その裏付けや根拠があいまいなまま、思い付きや感覚で「視聴者目線」を続けようとすると、いつか限界を迎えるのは目に見えている。
ニコルや今回の竹山の炎上が分かりやすい例だろう。
■“フェイク”は拡散されやすい クローズドな場所であれば、正確性に乏しくても自分の意見や考えを思いつくまま感情に任せて言ったとしても問題にならないことの方が多い。
しかしオープンな場所で、公共の電波を使って不特定多数の人に情報を届けるメディアやSNSは話が別だ。
いくら訂正しても「後出しの正しい情報」は、「最初に出した間違った情報」を超えて広まることが少ない。
 まだネットがなかった1710年に、ガリバー旅行記の著者ジョナサン・スウィフトが「まず嘘が広まり、真実はその後をノロノロとついていくものだ」という言葉を残している。
2018年3月、学術誌Scienceは<真実は1000人以上にリーチすることさえめったにないが、虚偽のニュースはほぼ常に1000〜10万人もの人びとにリーチする><真実が1500人にリーチするには、嘘よりも6倍近い時間がかかる>などという研究結果を発表した。
 たとえ発言するタレント本人にそのつもりがなくても、悪質な世論誘導になってしまう恐れもあるのだ。
感情だけで語れてしまう、芸能人コメンテーターの危うさが改めて浮き彫りになったと言える。
今期の番組改編でもテレビ局は多くのタレントをMCやサブMC、コメンテーターに起用した。
だが、“どこにウケているのか分からない”タレント起用の番組制作はそろそろ潮時を迎えつつあることを意識した方が良さそうだ。
(https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-721057.htmlより引用)

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