約3カ月間、週のほぼ半分を同校の寮で寝泊まりして日本語を学ぶ。
同町が「ウクライナからの避難者を日本語学校で受け入れたい」と道に申し入れていた。
降旗さんとウラジスラワさんはこの日、同校の先生からカリキュラムの説明を受け、日本語のテキストを手渡された。
幼少期にロシア・サハリン州(樺太)で終戦を迎えた降旗さんは日本語を話せない。
降旗さんは通訳を通じて「日本での暮らしに慣れてきた。
日常会話ができるよう頑張って勉強したい」と語った。
(https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20220509k0000m040133000c.htmlより引用)