萩野公介が見る「勝」への新しい道 結果よりベスト 2021-01-05


図 この記事のタイプ傾向 (「臆する」「怖い」「号泣」「大事」「不安」「揺れ」「発表」)

(https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-sp-tp0-210105-202101040000427.htmlより引用)
東京五輪は4日、開幕200日前となった。
16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)競泳男子400メートル個人メドレー金メダル萩野公介(26=ブリヂストン)が、日刊スポーツの新春インタビューに応じて、2度目の五輪イヤーを迎えた今の心境を語った。
21年の抱負を1字で「勝」とした金メダリスト。
だがそこに向かう道のりはリオとは違うルートだった。
【取材・構成=益田一弘】    ◇    ◇    ◇萩野は、抱負を漢字で「勝」と記した。
19年は「泳」、20年は「一」だった。
抽象的だった過去2年と比べて明確だ。
「勝」=五輪金メダルを連想させるが、その道のりでリオ五輪と違う景色を見ている。
萩野 純粋に思うところは、自分自身の最大の泳ぎをしたい。
やれることはやった、とスタート台に立ちたい。
何も臆することなく、自分の100を出したい。
この気持ちがすべて。
結果を求めて、金銀銅を獲得したリオ五輪とアプローチが変わった。
それはリオ後の苦闘からだった。
19年春の3カ月休養をへて、20年は五輪に向けて、急ピッチで仕上げていった。
萩野 19年はその場、その場でせわしなかった。
20年は五輪に向けてぐーっと集中する感覚がなかった。
昨年2月は五輪出場も危ういと感じさせるほど、泳ぎに精彩を欠いた。
そこで東京五輪延期が決まった。
萩野 延期は自宅で知って、この時間を大事にしなきゃと思った。
コロナ禍で泳ぐことは当たり前のことじゃないとも再確認した。
試合のメドも立たず、練習する日々。
頭に浮かんだ言葉があった。
「富士山の頂上を目指すのはAというルートだけじゃない。
BルートもCルートもある」。
平井コーチの言葉だった。
萩野 頂上に到達するにはいろんな方法がある。
僕はその言葉をすごく信じていて、いい言葉だと思う。
「勝」をつかんだリオ五輪と過程が異なってもいい。
過去の自分、過去のタイムと比べなくていい。
悪戦苦闘でも、自分のベストを尽くせばいい、と思えた。
萩野 金メダルをとりたい、タイムを出したいというものより、今の僕には優先される。
それは競技結果として、よくないことかもしれない。
正直(19年春に)休んでいた期間も水泳にとってよくないかもしれない。
でも休養は人間としてすごく大事な期間だった。
萩野は苦境だった1年前に「僕がひとつだけ自信を持っていることがある。
僕が一番いい泳ぎをしたら絶対、誰にも負けない。
結果的にそうなる」とさらり言った。
常人にはいえない強い言葉に自負がにじむ。
そして昨年12月、日本選手権で個人メドレー2冠。
ついに五輪派遣標準記録も突破した。
「勝」への新しい道がはっきりと見えてきた。
萩野 心が揺れ動いても自分が納得して1歩1歩前に進む。
それが今の僕にとって最大のパフォーマンスを発揮する方法だと思う。
◆萩野公介(はぎの・こうすけ)1994年(平6)8月15日、栃木県生まれ。
作新学院中−作新学院高−東洋大−ブリヂストン。
12年ロンドン五輪400メートル個人メドレー銅。
16年リオ五輪は同種目金、200メートル個人メドレー銀、800メートルリレー銅。
400メートル個人メドレー自己記録4分6秒05は日本記録。
19年にシンガー・ソングライターmiwaと結婚して、第1子が誕生した。
177センチ、71キロ。
◆萩野の今後 新年初レースとして北島康介杯(1月22〜24日、東京辰巳国際水泳場)にエントリーしている。
その後は調整レースをへて、代表選考を兼ねた日本選手権(4月3〜10日、東京アクアティクスセンター)に出場。
個人種目は同選手権の決勝で、日本水連が定めた五輪派遣標準記録をクリアして2位以内に入ることが条件。
萩野が出場を狙う個人メドレーは200メートル、400メートルともに瀬戸大也が内定しており、萩野は残り1枠をかけて出陣する。
五輪代表に選ばれれば、7月23日開会式を迎える東京五輪に出場できる。
萩野の苦闘◆16年7月 400メートル個人メドレー金など金、銀、銅とメダル3個を獲得。
◆同9月 右ひじ手術。
◆17年7月 世界選手権個人メドレーで200メートル銀、400メートル6位。
800メートルリレーで精彩を欠き号泣。
◆18年1月 疲労蓄積で入院。
肝臓の数値が異常で医者に「動いたら死ぬ」。
◆同8月 パンパシフィック選手権個人メドレーは200メートル銅、400メートル銀。
◆19年2月 コナミオープン400メートル個人メドレー予選で自己記録よりも17秒以上も遅い4分23秒66。
◆同3月 日本選手権欠場を発表。
「モチベーションを保てない」と休養。
◆同8月 W杯東京大会で半年ぶりのレース復帰。
「素直にうれしかった」。
◆20年2月 コナミオープン400メートル個人メドレーで4分20秒42の4位。
「泳ぐ前に怖いという不安」。
◆同6月 五輪延期に「もし東京五輪が来ていたらちょっと厳しかった」。
◆同8月 半年ぶりのレースとなった東京都特別大会200メートル個人メドレーで1分58秒20の1着。
「復帰後では一番いいレース」。
◆同10月 ブダペストの国際リーグに参戦。
400メートル個人メドレーで5連勝。
◆同12月 日本選手権で個人メドレー2冠を達成。
(https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-sp-tp0-210105-202101040000427.htmlより引用)

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