天理の193センチ右腕・達孝太は怪物の卵 「高卒メジャー」への階段 2021-04-03


図 この記事のタイプ傾向 (「注意」「怒る」「落ち着き」「面白い」「危険」「気になる」「憧憬」「なんと」「不安」「やっかい」「驚いた」)

(https://news.goo.ne.jp/article/postseven/sports/postseven-1649185.htmlより引用)
 1週間で500球という球数制限が導入された今年のセンバツを象徴する投手が、奈良・天理高校の達孝太だった。
この193センチ右腕は初戦の宮崎商業戦(3月20日)で161球、2回戦の高崎健康福祉大高崎戦(3月25日)で134球、そして中3日が空いた準々決勝の仙台育英戦(3月29日)で164球を投じていた。
一定の登板間隔はあり、球数制限に抵触するわけでもなかったが、1試合あたりの球数が多かったことでこのまま投げさせ続けるのかという空気が甲子園を包み込んでいた。
同じように連投が続いた中京大中京(愛知)の畔柳亨丞(くろやなぎ・きょうすけ)と共に、紫紺の大旗の行方よりもドラフト上位候補ふたりの登板可否に話題が集中していた。
  そして迎えた3月31日の準決勝・東海大相模(神奈川)戦──。
 投げようと思えば投げられた、と達は振り返った。
球数制限や前々日に負った左脇腹のケガに関係なく、無理をすれば準決勝のマウンドに上がることも可能だった。
  でも、投げなかった。
「今だけを見るならぜんぜん投げられるんですけど、1日でも長く野球をすることを考えれば、今日は投げるべきじゃない。
メジャーリーガーという目標があるので、そこに行くために今無理して故障しても全く意味がない。
(先発回避は)監督と相談して決めました」 中村良二監督も、この日は登板させる気は微塵もなく、その理由を「脇腹は(こじらせると)やっかいで、将来のある選手ですから」と語った。
  メジャーリーガになる──達からその夢を聞いたのは、2年前の秋だ。
高校1年生の大言は、なんとも清々しく、記者の心にも心地よく響いた。
「将来は、メジャーしか考えていません。
できれば高校卒業後、すぐに」 無名の高校1年生が、高卒メジャーの夢を語るとは、時代も大きく変わったと思ったものだ。
その日、達は秋季近畿大会の決勝・大阪桐蔭戦に先発。
入学以来、公式戦の登板実績はほとんどなく、先発も初めて。
192センチ(当時)の達は、高校野球で一時代を築く大阪桐蔭を相手に8回4失点と好投し、天理にとって5年ぶりとなる近畿制覇の立役者となった。
 彼にプロフィールを訊ねて驚いたのは誕生日だった。
2004年3月27日。
つまりあと数日、誕生が遅れていたら、1学年下となる早生まれだ。
高校生ぐらいまでなら、早生まれの子は同級生にあらゆる面で後れを取りがちで、それがスポーツならなおさらだろう。
プロ野球の歴史を振り返っても、早生まれの選手が少ないことは周知だ。
“ほぼ中学生3年生”という状態で、マッチ棒のようにひょろひょろの体でも当時、140キロに迫る直球を投げ、加えて手先を起用に使って多種の変化球を投じるところもまた、これから月日(トレーニング)を重ねていけば“怪物”に化けていく無限の可能性が感じられた。
 父・等さん(44)の身長は173センチで、母・るみさん(44)も162センチと、さほど大きくはない。
「私も家内も、父親が大きいんです。
孝太の身長は隔世遺伝だと思います(笑)」 そう等さんは話す。
他の子に後れをとらないよう、達が生まれた頃から食事にも気を遣い、カルシウムの摂取を目的に離乳食として煮干しをいったものをすり鉢ですりつぶし、おかゆに混ぜて食べさせたという。
「早生まれの影響が出ないように、家内がそのへんは工夫してやってくれました」 等さんは大阪産業大附属高校の元高校球児で、卒業後は奈良産業大学に進学。
社会人の「ドウシシャ」(軟式野球チーム)でプレーを続け、引退後は社業に従事しながら同チームの監督も6年務めた。
 長男(孝太)が野球を始めるのは自然の流れだったろう。
「小学校、中学校は楽しくのびのびやればいいと思っていました。
本人は小学校の卒業文集に夢はメジャーリーガーと書いていましたけど、思いきり投げて、思いっきり走って。
私が難しいことを言うことはありませんでした」今は無理をする時じゃない 中学時代には硬式野球の泉州南堺ボーイズに在籍しながら、等さんと親交のあるPL学園卒の元プロ野球選手・覚前昌也(元近鉄)の主宰する野球教室にも通わせた。
その教室には、1歳上に結城海斗という投手がいた。
体は達より小さくても、達より速いボールを投げる少年を、達は憧憬の目で眺めていた。
そして、結城は中学卒業と同時に、海を渡ることを決心し、カンザスシティ・ロイヤルズと16歳という日本人として史上最年少でマイナー契約を結ぶ。
結城と親しかった達は、プロセスは異なれど彼と同じようにアメリカの大地で野球をしたいという夢をより強く抱く。
 しかし、ボーイズでは控え投手に甘んじ、成長痛などもあって、思うようにプレーができなかった。
「中学3年生まで成長痛があって、常に『今は無理する時じゃない』と伝えていました。
当時は無名でしたが、私から見ても、可能性がある子だと思っていましたね。
私も高校時代には福留孝介がいたPL学園ともやりましたし、近畿大会では智弁和歌山とも戦った。
奈良産業大学の後輩には山井大介(中日)がいましたから、プロになるような選手の身体能力みたいなところは私なりにわかっていたつもりです。
まず、体が大きい。
高い身長によって角度のついたボールが投げられるというのは、投手としてひとつの可能性だし、武器です。
体もまだまだひょろひょろでしたから、高校に進学して、体が出来上がってきたら絶対に面白いピッチャーになると思っていました。
試合で投げられなくても、後ろ向きな言葉はひとつもかけず、ミスしても怒ることはなかった。
『マウンド上でふて腐れた表情をするな』と、マウンドでの表情だけは注意していました」 今は無理する時じゃない──それは奇しくも、準決勝で敗退後、達が語った言葉である。
野球経験者の父のアドバイスを受けて、成長しきっていない肉体で無理を重ねる危険性を達は中学時代から叩き込まれていた。
 それにしても、名門・天理に身を置く高校1年生が、高卒でアメリカに行くという夢を語ることはなかなかできることではない。
「昔から、人と同じことをやりたがらない子で、同年代の子と同じようなことを言うのも嫌がっていましたね。
教育方針として、『思ったことは口にしなさい』とは伝えていました。
目標にしても、手が届きそうな低い目標ではなく、高く持て、と。
低い目標なら、それに準じた努力しかしない。
目標が高ければ、結果としてワンランク下のレベルとなっても良い形に落ち着きますから」 こうした父の指導は、「160キロを目標にしていたら158キロ程度にしか到達しない。
だから163キロが目標です」と花巻東時代に話していた大谷翔平(現エンゼルス)の姿に重なる。
「ラプソード」の効果 達は2年前から身長が1センチ伸び、球速もグンとアップした。
昨夏には甲子園交流試合でも登板し、天理の大黒柱へと成長を遂げてきた。
そんな息子に対し、等さんは投手の投じるボールの回転数や回転軸、変化の幅をトラッキングする機械「ラプソード」を買い与え、達は仲間と共に練習中に使っている。
およそ80万円もする機械を高校生に買い与えることもなかなかできることではない。
学校関係者や他の選手たちの目も気になるのではないか。
「そうですか? 今はAIの時代ですよね。
仕事もAIが活用されますし、高校野球の現場で使うことに抵抗はありません。
息子が欲しいというラプソードを、『個人で用意しますので部で活用していただけますか』と話をしたら、中村監督も快く承諾してくださいました。
息子だけでなく、チームのみんながレベルアップしてくれたらそれでいいです」 2回戦の健大高崎戦で最速を更新する148キロを記録し、2安打完封した達は、試合後、決め球に使うフォークボールと、カウントを整える時に使うフォークボールの違いを質問され、こう答えた。
「どちらも握りは同じ。
カウントを整えるフォークは、カーブみたいに、上に抜く感じで投げます。
イメージとしては(クレイトン・)カーショー(ドジャース)のカーブ。
三振をとりにいくフォークは、シュート成分を少なく、落差を落として(著者註・よりストレートに近い軌道で、落差を小さくして)、ストレートに偽装させることを意識しています」 ふつうの高校生が使わないような言葉を駆使して、変化球の彼なりの極意を口にする様は、「変化球投手」と自認するダルビッシュ有(パドレス)がダブった。
 準々決勝まで3試合で計459球を投じた達だが、登板を回避した準決勝でチームは明豊(大分)に敗れた。
天理の一員として日本一は目指しつつ、甲子園はあくまで通過点だ。
「舞台が甲子園だからといって、自分にとっては普通の公式戦。
自分のピッチングが思うようにできなかった。
それが感想です」 まだまだ肉体は成長段階にあり、「球数の多さ=制球面の不安」は露呈したとしても、それは高校3年生になる怪物の卵の“のびしろ”でもある。
海の向こうへ続く夢の過程としては、またひとつ進化を遂げられた甲子園ではなかったか。
(https://news.goo.ne.jp/article/postseven/sports/postseven-1649185.htmlより引用)

関連記事