“真空飛び膝蹴り”「キックの鬼」沢村忠さん死去…78歳 2021-04-01


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(https://news.goo.ne.jp/article/hochi/sports/hochi-20210331-OHT1T50334.htmlより引用)
 昭和プロスポーツ史を代表するスーパースターで、「キックの鬼」の愛称で親しまれた元キックボクサーの沢村忠(本名・白羽秀樹)さんが、3月26日に肺がんのため千葉県内の病院で死去していたことが31日、分かった。
78歳だった。
沢村さんは代名詞の「真空飛び膝蹴り」でKOを量産して一世を風靡(ふうび)し、半生を描いた漫画やテレビアニメでも人気を博した。
葬儀は近親者のみで30日に執り行われた。
  昭和の巨星が旅立った。
親族によると、沢村さんは26日午後4時18分に千葉県内の病院で家族や近親者にみとられて死去した。
葬儀は30日に親族と近親者だけで行われ、千葉・市川市内の斎場でだびに付された。
ひつぎには「キックの鬼」らしく、背中に般若の顔が描かれたガウンなど、現役時代の愛用品が納められた。
 沢村さんは昨夏に血たんが出るなど体調を崩し、検査したところ、4〜6センチ大の腫瘍が見つかった。
しかし、がんが骨まで転移していたため、手術は選択せず、放射線などの治療を行い、回復に努めてきたという。
 沢村さんは日大芸術学部時代に、最も実戦に近いとされる伝統派の剛柔流空手で60戦無敗の成績を打ち立て、後に「キックボクシング」の名称を考案した故・野口修氏に誘われ転向。
1966年4月の日本キックボクシング協会(当時)の旗揚げ戦で「沢村忠」のリングネームでデビューした。
 代名詞の「真空飛び膝蹴り」や前蹴りなどで、232勝のうち228のKO勝利を量産。
トレードマークの口ひげや、カミソリのごとく鋭い蹴り技で強烈なインパクトを与え、黎明(れいめい)期の日本格闘技界にスポットライトを当てた。
 70年には半生を描いたアニメ「キックの鬼」(TBS系で全26話、原作・梶原一騎)は、視聴率が毎回30%を超える番組になり、人気に拍車をかけた。
73年にはプロ野球3冠王の王貞治らを抑え、「第6回日本プロスポーツ大賞」に輝くなどスポーツ界を代表するスーパースターとなった。
 1977年10月の現役引退後は自動車整備士の資格を取得し、都内で整備工場を経営した。
プロ競技には関わらず、神奈川・横須賀市内の道場で子供たちにキックボクシングを教え、競技普及に尽力してきた。
親族の男性は「とても温かい人で何よりも曲がったことが嫌いで、『一意専心(一つの事柄に心を集中する意味)』という言葉が好きでした。
お酒は一滴も飲まず甘党でした。
趣味は水彩画でお花の絵を描いたりしていました」と人柄を語った。
 ◆「サワムラー」モデル 〇…ゲームとアニメで人気の「ポケットモンスター」に登場するポケモン「サワムラー」は、沢村さんがモデルとされている。
自在に伸縮する足から放つキックが武器という設定となっている。
 ◆真空飛び膝蹴り 沢村さんが得意とした必殺技。
相手が攻め込んできた瞬間に空中へ飛び上がり、相手の後頭部や首筋に蹴りやすい方の膝で打ち込む。
持ち前のジャンプ力で、助走なしでの最高打点は185センチとされる。
タイ式ボクシングで鍛えられたガードの堅いタイ選手対策として、半年間の秘密練習で身につけた。
技の名前をつけたのは、沢村さんの試合を中継したテレビ実況アナウンサーとされている。
 ◆沢村 忠(さわむら・ただし)本名・白羽秀樹。
1943年1月5日、旧満州(中国東北部)生まれ。
法大一高、日大芸術学部映画科卒。
幼少期から祖父に剛柔流空手を習い、大学在学中にキックボクシングに転向。
66年にプロデビューしKO勝利を飾った。
2戦目はムエタイの強豪サマンソー・アディソンから十数回のダウンを奪われKO負け。
以後、日本キックボクシング協会(当時)認定の東洋ミドル級王座を14度防衛し、同ライト級王座を20度防衛。
77年の引退までの生涯戦績は232勝(228KO)5敗4分け。
家族は妻と1男2女で、次女は元タレントの白羽玲子さん。
現役時代のサイズは174センチ、61キロ。
(https://news.goo.ne.jp/article/hochi/sports/hochi-20210331-OHT1T50334.htmlより引用)

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