37歳「クイズで生計立てる男」が送る快活な人生 古川洋平は会社員・公務員捨てこの道へ入った 2021-03-29


図 この記事のタイプ傾向 (「愛好」「歓楽」「苦労」「残念」「好き」「実現」)

(https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-418836.htmlより引用)
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。
「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。
自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。
特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第92回。
どうやってクイズ王になったのか古川洋平さん(37歳)は高校2年生の時に『パネルクイズアタック25』の高校生大会で優勝して以来、さまざまなクイズ大会で活躍した元クイズ王として知られている。
現在は『クイズ法人カプリティオ』の代表として、クイズのイベントや、YouTubeチャンネル『カプリティオチャンネル』の制作配信、クイズの本やカードゲームの執筆と、クイズに関わるビジネスを生み出している。
「好きなことで食べていく」を実現するのは難しいが、古川さんは成功しているように見える。
古川さんが、どのような経緯でクイズ王になり、そしてクイズ作家になったのか。
そしてその裏でどのような苦労があったのかを聞いた。
古川さんは、宮城県の仙台市に生まれた。
父方の両親は14代続いた床屋の家系で、もともとは伊達家お抱えの床山だったという。
古川さんは、仙台市の歓楽街・国分町のど真ん中にあったバーバー古川で生まれた。
「両親と父方の両親全員でそこに住んでいました。
店を閉めた後の、床屋の店内で遊んでいた記憶があります」古川さんのお父さんは家業を継がず、店は畳んで引っ越した。
その後、宮城県内を何度か引っ越した後、小学校からは仙台市八木山に落ち着いた。
「父は『自分の子どもをクイズ王にしたい!!』と願っていました。
それで幼稚園の僕にテレビ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』のボードゲームを買ってくれました」そのボードゲームには、おもちゃの早押し機と過去問題集がセットになって付いていた。
「ウルトラクイズの問題は幼稚園児には難しかったんですよ。
でも絵本がわりに読んでいたので、わからないなりに記憶が残っています。
例えば『ドイツの秘密警察はゲシュタポ!!』とかそんなことを言っている子どもでした(笑)」小学校時代、テレビ番組『マジカル頭脳パワー』がはやって、クイズやなぞなぞに夢中になった。
「廊下に壁新聞ならぬ壁クイズを貼って、級友たちに競わせたりしていました。
今思えば、当時からクイズ作家的なことがやりたかったのかな? と思います」ただ小学校時代のクイズ熱はその程度でおさまっていた。
小学から中学にかけてはバスケットボール部で汗を流していたし、中学ではバンドもはじめた。
そしていちばんハマっていたのは、マジックだった。
中学生のときにはプロのマジシャンのお店に通い、技を教えてもらったり、グッズを買ったりした。
将来はプロのマジシャンになりたいと思っていた。
「宮城県仙台第一高等学校に進学したのですが、残念ながら奇術部(マジック部)はありませんでした」古川さんの自宅は山の上のほうにあり、高校は山のふもとにあった。
自転車で行き40分、帰り1時間20分をかけて通っていた。
「毎日通学だけでこんなにも運動するなら、さらに運動部で体を動かすのはキツイなと思いました。
(https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-418836.htmlより引用)

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