事故死のいとこの名、グラブに刻み登板 創平に伝えたい 2021-04-02


図 この記事のタイプ傾向 (「キャッ」「推薦」)

(https://news.goo.ne.jp/article/asahi/sports/ASP415TN4P41PTIL00K.htmlより引用)
(1日、選抜高校野球 東海大相模3-2明豊) 決勝を戦った明豊(大分)の京本真投手(3年)のグラブには、「創平と共に」という言葉が刺繡(ししゅう)されている。
幼い頃毎日のように一緒に過ごし、キャッチボールし、甲子園に導いてくれた「兄ちゃん」の名だ。
亡きいとこへの思いを胸にマウンドに上がった。
 1日の東海大相模(神奈川)戦、八回から登板した。
九回1死満塁のピンチ。
左手からグラブを外し、刺繡に目をやった。
「力を貸して」 京本投手は大阪府出身。
幼い頃、同じマンションの別棟にいとこの難波創平さんが住んでいた。
4学年上の創平さんと一緒に遊び、晩ご飯を食べ、互いの家に泊まった。
京本投手の母の有紀さん(47)は「思いやりがあって優しい兄のような存在だった」と言う。
 創平さんは野球チームで捕手でキャプテンだった。
あこがれて小学生から野球を始めると、キャッチボールをしてくれた。
 中学生になった頃、結果が出ず悩んだ。
そんな時、試合に来てほめてくれた。
「次も頑張ろう」と思えた。
「創平がいなかったら野球を続けられなかった」 2019年1月16日。
明豊の推薦試験を終えた帰りの空港で、電話を受けた。
創平さんがバイクで大学に向かう途中、トラックにはねられたという知らせだった。
大阪に戻る飛行機の中で「早く降ろして」と言った。
病院に直行したが、意識は戻らず、翌日に息を引き取った。
19歳だった。
 この年の初め、子どもの頃のように2人でキャッチボールしていた。
「明豊に入ってもただ甲子園に行くんじゃなく、背番号をもらって行くんだぞ」と言う創平さんに、約束した。
「必ず甲子園でプレーする」 創平さんはアルバイトでお金をためていた。
父の宏延さん(46)は息子の死後、そのお金でグラブを作って京本投手に贈った。
「あの子ならそうしているかなって」。
グラブには刺繡を入れた。
 京本投手は新チームで背番号1を手にした。
試合では刺繡入りのグラブを使い、右ポケットには創平さんの遺骨を入れた。
 選抜出場を決めると、宏延さんにLINE(ライン)を送った。
「選抜甲子園で必ず優勝して、プロ野球選手になる。
創平兄ちゃんとも約束しているから」 迎えたこの日の決勝。
同点の場面で懸命に腕を振ったが、最後に打たれた。
 宏延さんはアルプス席で、息子の写真をそばに置いて見守った。
「創平も『ようやった』と言うと思う。
また一回り大きくなって夏に戻ってきてほしい」。
京本投手の目に涙はなかった。
「最後は自分との戦いだった。
(https://news.goo.ne.jp/article/asahi/sports/ASP415TN4P41PTIL00K.htmlより引用)

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