小学校卒業式に「中学制服で出席」…山形では当然の風景、いつから始まったのか 2021-03-30


図 この記事のタイプ傾向 ()

 小学校の卒業式に、中学校の制服で出席する――。
山形県内では当たり前の風景だが、県外出身の記者には珍しく映った。
いつ頃から制服を着るようになったのだろう。
(井上勇人)■由来は諸説 記者は大阪市東住吉区出身で2005年に小学校を卒業した。
小学校は自由な私服。
ほぼ全員が進学する市立中学校はブレザーの制服だったが、卒業式は今も「私服で出席するのが当たり前」(小学校教頭)だ。
 一方、周囲の同僚や上司は、出身地域によって、私服派も制服派もいた。
 大手学生服メーカー「トンボ」(岡山市)に尋ねると、統計はないが、卒業式で中学校の制服を着る文化は全国各地に存在するという。
由来は不明だが、事業開発推進部の担当者は「式典で統一感を出すためでは」と話す。
同「菅公学生服」(同市)の広報担当者は「卒業式のときにだけ礼服を買うのはもったいない。
そこで、購入している制服を着たのではないか」と推測する。
 県内で学生服の卸売りなどを手がける、創業1905年(明治38年)の「藤井株式会社」(山形市)によると、県内では少なくとも40年以上前から、小学校の卒業式で着ることを見越し、制服の採寸や納入が行われているという。
 1878年(明治11年)に創立し、2007年に学校統合により閉校した西川町岩根沢の旧岩根沢小学校。
記念誌「百年のあゆみ」に掲載された1922年(大正11年)の卒業記念写真は、全員がはかま姿だった。
昭和に入ると、詰め襟の学生服を着た児童が現れ、54年(昭和29年)には、ほぼ全員が進学先の旧西部中学校の制服を着ていた。
 55年に同小を卒業した同町岩根沢地区会長の斉藤勇さん(77)も「6年生のときに買ってもらった学生服で卒業式に出た」と振り返る。
 斉藤さんが1、2年生のときには、戦争中に着用が推奨されていた国民服を着て卒業式に出る卒業生もいたという。
斉藤さんは「当時は経済的に厳しく、どの家庭も礼服を買う余裕はなかった。
子ども心に制服は正装という意識があった」と話す。
■成長を実感 西川町教育委員会の伊藤和賀子主幹は、今も残る卒業式での制服着用について、「在校生や親、教職員に、進学する姿を見せ、成長を実感してもらう機会になっている」と話す。
 今春、約9000人が県内の小学校を卒業した。
中学校の入学式には、少しだけなじんだ制服姿で臨む。
(https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20210330-567-OYT1T50096.htmlより引用)

関連記事