おすぎとピーコ「50年ぶり同居で老老介護」の顛末 互いの消息を知らぬ現状 2022-05-10


図 この記事のタイプ傾向 (「鬱憤」「元気」「困惑」「ショック」「心配」「絶句」「嘆く」「不安」「不機嫌」「迷惑」「面倒」「やっかい」「喜んだ」「衝撃」「笑って」)

(https://news.goo.ne.jp/article/postseven/entertainment/postseven-1752071.htmlより引用)
 軽妙な掛け合いで、一躍人気者となったおすぎとピーコ。
だが、最近2人のトークを耳にする機会がなくなった。
突然テレビから消えた双子のいまを追うと、想像を絶する近況が明らかになった──。
「おすぎが帰ってくるのよ。
具合が悪くなっちゃって、面倒みてやらないとダメなの」 昨年12月、バラエティー番組『5時に夢中!』(TOKYOMX)に出演したピーコ(77才)はそう話し始めた。
この日のトークテーマは「あなたの周りのやっかいな高齢者」。
共演者がピーコの双子の弟・おすぎ(77才)の近況について尋ねると、福岡を拠点にする弟の体調が芳しくなく、近いうちに同居を始めることを唐突に明かしたのだ。
 不機嫌そうな顔で「ちょっと嫌なの」とつぶやきスタジオを笑わせたが、ピーコは昨年から自身の環境を変えていた。
昨夏、個人事務所「オフィスおすぎとピーコ」をひっそりと閉鎖。
おすぎが姉から相続した神奈川県横浜市内のマンションに引っ越しを済ませていたという。
 約50年ぶりとなる兄弟の同居生活。
衝突と雪解けを繰り返した名コンビは、人生の最晩年を並走しようとしていた。
だが──。
4月下旬、横浜の自宅から出てきたピーコに、おすぎとの同居生活について聞くと衝撃の言葉が飛び出した。
「おすぎ? おすぎはもう死にました」 絶句する記者にピーコはこう続けた。
「ずっと認知症で入院していたのですが、2月に亡くなりました」──存じ上げておらず申しわけございません……。
「亡くなって、お骨になって帰ってきたの。
もうこれで……すみません」 そう言うとピーコは涙ぐみながら自宅へと戻っていった。
老老介護を始めたばかりだった兄弟に何が起こったのか。
ブレイク、亀裂、和解…波乱万丈の2人の仲 2人の近況を語る前に、まずは激動の半生を振り返る。
おすぎ(本名・杉浦孝昭)とピーコ(本名・杉浦克昭)は、1945年1月18日、横浜市に生まれた。
両親と13才年上の長姉、9才上の次姉がおり、5分早く生まれたピーコは兄としてしつけられ、常におすぎを気にかける弟思いの兄だった。
 高校卒業後、紆余曲折を経て兄はファッション、弟は映画評論の道へ進むと、1975年に転機が訪れる。
ラジオ番組『一慶・美雄の夜はともだち』(TBSラジオ)に一緒に出演し、マシンガントークが大ウケ。
その後、「おすぎとピーコ」として本格的に活動を始め、テレビやラジオで“コンビ”として引っ張りだこに。
だが兄弟の関係には深刻な亀裂が生じていた。
「当時、イケイケな話術で視聴者を虜にしていたのは、主におすぎさんで、ピーコさんに“才能のないアナタがおすぎの足を引っ張っている”と面と向かって批判する業界関係者もいたそうです。
おすぎさんからも“アタシはピーコより才能がある”という態度が透けて見えることがありました。
人気絶頂の裏で2人はけんかが絶えなかった。
当時のピーコさんは“おすぎとは3日以上仲がよかったことがない”とも話していました」(芸能関係者) 1982年、積もりに積もった鬱憤がついに爆発した。
出張先のホテルで、ふとしたきっかけから兄弟は取っ組み合いの大げんかを始めた。
近くにいた友人が止めなかったら、どちらかが死んでいたかもしれないほどの衝突だったという。
「彼らはこれを機に“別々の道を行こう”と決めて、コンビの仕事を断るようになったのです」(前出・芸能関係者) 兄弟に再び転機が訪れたのは1989年。
ピーコの左目に悪性腫瘍が見つかり、左眼球摘出の手術を受けることになったのだ。
兄の窮地にもかかわらず、おすぎは一向に見舞いに来なかった。
「実はこのとき、おすぎさんはピーコさんが予定していた仕事をすべて肩代わりし、全国を飛び回っていました。
おかげでピーコさんは仕事を減らさずにすみました。
さらにおすぎさんは、ピーコさんのために義眼を選び、友達とお金を出し合ってプレゼントしたんです。
犬猿の仲といわれた兄弟ですが、おすぎさんは誰よりもピーコさんを心配していた。
 手術後、満を持しておすぎさんがお見舞いに訪れたとき、医師からがんの転移がないと告げられました。
2人は抱き合ってわんわん泣いて喜んだそうです」(前出・芸能関係者) 雪解けとともに、運気も好転した。
当時高視聴率を誇った『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で中居正広がピーコのものまね「ヒーコ」を披露するとコンビの人気にまたもや火がつき、2人はその後『笑っていいとも!』(フジテレビ系)など人気番組のレギュラーを務めた。
50代での再ブレークだった。
「もう一緒に住めない」 年を重ねるにつれて、おすぎは活動の拠点を地方に移すようになった。
福岡県を中心に九州地方でラジオやテレビ番組に出演。
九州での仕事量が東京での仕事量を大きく超え始めていた2010年、おすぎは福岡にマンションを借り、東京には週に一度のペースで通う生活を送るようになる。
65才での“地方移住”だった。
そのおすぎに異変が訪れたのは昨年の夏頃だったという。
「収録中、集中力が散漫になることが増えたんです。
物覚えも悪くなっていたようで、“番組に迷惑をかけるかもしれない”と本人も不安を抱えていました。
どうも認知症の初期段階のような兆候があったそうです。
そこでピーコさんと話し合い、横浜の自宅で同居することになったんです。
昨年の秋頃から同居となりました」(福岡の番組関係者) おすぎは元気な頃から、「ピーコがいてくれてよかった。
老後は2人で暮らしたい」「老後のお金はもう貯金してある。
ピーコはお金がないから、アタシが面倒をみないと」とよく話していたという。
予期していた通り兄弟での「老老介護」生活が始まったわけだが、2人を知る共通の知人は、「結果的にこの同居がよくなかったのかもしれない」と嘆く。
「介護生活のなか、これまでとは違うおすぎさんの様子にピーコさんはショックを受けると同時に、彼自身にも同じような症状が出始めたんです。
 記憶力が落ちていき、お互いに感情の起伏が激しくなって、毎日のようにけんかをしていました。
時にピーコさんが、おすぎさんを“いますぐ出て行け!”と自宅から追い出すこともありました。
行くあてもなく街を徘徊するおすぎさんを警察が保護することが続き、“これ以上は一緒に住めない”という状況になったのが、今年の2月ぐらいです」(前出・2人の共通の知人) 現在、ピーコは横浜の自宅に、おすぎは近隣の高齢者施設に入居している。
つまり、おすぎは亡くなっていなかった。
「おすぎさんは介護認定も受けており、成年後見人が決まりそうですが、自宅でひとり暮らしを続けるピーコさんも心配です。
いまは、行政のかたが週に何度かピーコさんの自宅に様子を見に行っている状況。
ただ、部屋にはゴミがたまっていて、身の回りのことは何もできていないように見えます。
 最近、かつての友人らに“おすぎが死んだ”“お骨になって帰ってきた”“葬式も済んだ”などという妄言を言いふらしていて、関係者を困惑させています。
しかも、それは冗談という様子ではなく、幻を信じ込んでしまっているようなんです」(前出・2人の共通の知人) ピーコはおすぎが施設に入ったことを知らないという。
 冒頭のように、ピーコは昨年末、テレビ番組で「おすぎが帰ってくる」と語ったが、すでにその頃には同居生活は始まっていた。
「おすぎさんはレギュラー番組を昨年秋に降板し、年末以降は“休業状態”にあります。
ピーコさんも同じような状況で、お仕事ができる状態にはなかったのですが、どういうわけか、本番になるとシャキッとする。
年末の『5時に夢中!』に出演したときも、ギリギリまで出るか出ないかを悩んでいた。
多少の記憶違いはありましたが、無難にこなせたと思っています。
でも、今年に入って以降は仕事を断っています」(前出・2人の共通の知人) 性を超越し、昭和、平成、令和と駆け抜けたおすぎとピーコ。
息の合ったあの掛け合いは、もう見ることはできないのだろうか──。
(https://news.goo.ne.jp/article/postseven/entertainment/postseven-1752071.htmlより引用)

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