昨年12月にJ3のFC岐阜を契約満了で退団することが発表されていたが、他クラブからの打診もあり、結論を持ち越していた。
東京・暁星高から00年に磐田入りし、183センチの長身を生かしたポストプレーなどで09、10年にJリーグ連続得点王を獲得。
15年からFC東京、19年から当時J2の岐阜に移籍した。
けがに苦しみながら、J1通算154得点(429試合)は歴代5位の成績を誇る。
11年アジア杯で全6試合に先発して日本の優勝に貢献するなど、国際Aマッチは通算33試合10得点。
10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は予備登録に終わり、14年W杯ブラジル大会も直前でメンバー入りを逃したが、日本の一時代を築いた名ストライカーだった。
(https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/jsoccer/f-sc-tp0-210114-202101130000558.htmlより引用)